美人で明るくて大好きだった自慢のおかんにクールなおとん!裕福ではなかったけど幸せな家庭だと思ってたんだwそれがだんだんと崩れて行った・・・

24年前、当時今の私の年齢と変わらない両親から、第一子として私は生まれた
おとんは阿部寛似のクールなSE、おかんは相川ななせ似の明るい人だった
おかんと私の年齢がクレヨンしんちゃんと
そのまんま設定が同じで、よく重ねて見てた気がするwww
おかんよく怒ってたし、みさえになんか似てたしwww
初めての孫というのもあって、じいちゃんばあちゃんにもめちゃくちゃかわいがられてたwww
ポテチがすきだっつったらポテチばっか買ってくんのwwww
このばあちゃんというのはおとん側のばあちゃん
おかんの方の家族は色々複雑であり、遠いこともあってあまり合う機会がなかったが
私のほんとのじいちゃん極道らしいwwwカッコヨスwww
私はじいちゃんばあちゃんも大好きだった
家は離れていたが、よく大きな休みを利用して泊まりにも行ってた
しかし思えばおかんが一緒にばあちゃんち行く事ってあんまなかったんだよな
仲悪かったのかもしれないwww
「ままも一緒にいこうよー」とか言ってた私テラ残酷wwww
月日は流れ私には二人の弟が生まれた
弟1は私の4つ下で、超かわいいwww弟2はその更に2つ下、人見知りなやつだwww
おとん、おかん、私、弟1、弟2 の家族5人
プラス猫2匹で私んちは最終形態になった
この頃までは幸せだったんだぜ!この頃までは・・・
ガキだったからそう思ってただけかもしれないがwwww
12月25日の朝には必ずサンタさんからプレゼントが届いたし
おとんは仕事で忙しかったけど、おかんとよく散歩いったりしてなあwww
弟達もだいぶおっきくなってんのに甘えん坊で、乳母車にむりやり三人のったりしてwwwww
でも今思えば、幼少期の思い出っておかんとばっかでおとん登場すくねえwwwwww
小学校高学年くらいだったかなあ?おとんとおかんが大きなケンカをした
子供の前で言い争いするのって見た事なかったし
おとんは普段クールなぶん怒ってる姿がめちゃくちゃ怖かった
ケンカの発端は些細な事で、部屋が汚いとかそんな感じだったと思う
おかんは掃除がへたくそなんだ。すぐ散らかるwwww
おとんの強い口調と、おかんの泣きながら叫んでる姿見て
うちってもしかして仲悪いのかなあ…とうっすら思い始めた
私には小学校に入学したときからの仲のいい友達がいたTだ。
Tは家も近く、クラスも一緒なので毎日のように遊んでいた
んでこれがまたTんちってめちゃくちゃ仲いいのよwwww
そりゃあもうおとんとおかんが私らの前で一緒にお風呂入るくらいwwwwww
更にT家はかなり裕福で、私んちにないもんがいっぱいあんの。
おっちゃん家電マニアだから、部屋の壁一面に映せるホームシアター買ってきたときは笑ったわwwww
よくTんちにくっついてキャンプやら公園やらお花見やら行った。
イベントごとにはよく呼んでもらった、そこでまた気がついたのwwwwwww
私んちってイベントねえwwwwってwwwwwwクリスマスはあったけどさ
お花見とか、おひなさんとか、キャンプとかそういうの。
家族全員でどっか行くって今まで一回もなかったかもしれないって気がついちゃったのwwwwwwww
まあそうは言っても当時小学生で「リ婚」なんて言葉知らなかったし
Tんちはいいなーって羨ましがる程度だった
ただ、今思い返すと小学生ながらに辛かったんだと思う
このへん思い出そうとするとちくちくすんのwwwww
んでね、だんだん知識が増えるに連れて
うちは他の家より貧乏なんだってことにも気づいてきたのwwww
だって小学校でかう鍵盤ハーモニカとかそろばんとか
裁縫道具買ってくれなかったんだもんwwwww
みんなきれいな新品のやつ使ってる中で、
おかんのお下がりの黄ばんだ鍵盤ハーモニカ使うの恥ずかしかったwwwww
そのせいで持っていきたくなくて、みんなに見られるのが恥ずかしくて
よく忘れ物をするようになったwwwww
そしたらね、担任の女教師に嫌われたのwwww明らかに悪い方の贔屓されるようになったwwwww
忘れ物をしたらほっぺたに「忘れ物」って書いたはんこを押されたwwww
みんなの前で教団に立たされてwwwwwwテラ羞恥プレイwwwwwwwww
極めつけは美術の時間だった。私小さいときから絵が好きだったんだ
それが今でも影響してるけど、アニメとか漫画も好きだったし
ちょこちょこ自作の漫画とかも隠れて書いてたwww黒歴史だけどねwwww
それで絵がわりとうまかったんだ。周りの小学生よりは飛び抜けてうまかったと思う。
よく運動会のしおりの表紙とか描く係になってたwww
その日はお花畑っていう題でみんな絵を描いてたんだが、その女教師が私の絵見て言ったんだ。
「アニメみたいやねwwwwww]って鼻で笑って、
すぐ横の友達の、いかにも小学生がかきましたみたいな絵をめちゃくちゃほめてた
私は漫画とか描いてるの秘密にしてたし、
そんなことをクラスのみんなの前で言われてめちゃくちゃ恥ずかしかった。
帰って元気がないのをおかんに心配されたから、泣いて話した。
「すごく恥ずかしかった、絶対にせんせいに嫌われてる、学校に行きたくない」って。
そしたらおかん、早速学校に乗り込みにいってんのwwwwwww
今でこそモンスターペアレントって言葉があるけど、当時そんなことする親いなかったwwwwww
女教師に怒りにいって、次の日女教師が私に謝ってきたよwwwwww
「今までごめんね」だってwwwww私完全勝利wwwwwwww
その日から女教師の態度は一変したし、おかんをちょっと恥ずかしいと思ったけど
私の為に戦ってくれたおかんを正義のヒーローだと思った
おかんはきれいで他の保護者より若かったから、
よく「きれいなおかあさんだね」って羨ましがられたりもした
そこは凄い優越感があったwwwおかんのきれいさならクラスの誰にも負けない自信があったwwwwww
それと反対に、私はおとんのことが怖かった。クールなんだ。
あまり笑わないし休みの日はほとんどいないか、たまに居てもずっと寝てる。
それでもたまに怒られるとめちゃくちゃ怖かった。
まあ、あまりおとんとの絡みってなかったからおかんより気使ってたんだよねwww
休みの遊びの約束もすっぽかされることが多かった。
公園いこうって行ってたのに昼になっても起きなくて
「ぱぱ公園いこうよ」って起こしたらきれられるwwwwぱぱん寝起きわりいんだよねwwww
それでも私はおとんのことだって大好きだったよ。
たまに一緒に遊んでくれたし、普段は優しかったし。
バイオ一緒にやったりして、私が「そこにショットガンの弾ある」とか
横で攻略本見ながら手伝ったりしてwwww弟たちもそういうのは一緒に参加してた。
こんな感じでおかんとよく散歩したりかいもん行ったり
おとんに気を使いつつたまに一緒に遊んだりしながら私は育った。
そして中学生になった。
この頃から、色々と今まで気づかなかった事に気がつきだした。
まずおとんとおかんの空気感が微妙になったんだよね
前から仲良くはなかったけどさ、なんというか
たまに一緒に車にのっても無言だったり、
おとんが出てったあとにおかんが泣いてたり。あれ?って思った。
今まではさ、ごくたまにだけどおとんとおかんは笑い合ってたんだ。
おとんが「ままちょっと太ったやろ」とか言ってさ、
おかんが「もーー!」って笑いながら怒ったり。
私はそういうたまにしかない二人の会話を聞いて嬉しかった。
でも、そういうのが全くなくなった。
その頃私はというと、中学で人見知り爆発wwwwww
思春期特有の容姿に自信がないのもあってかなり内向的な性格になっていたwwwwww
ただ、それは中学で初めて会う子たちに限りであり、
同じ小学校出身の友達とは普通に中がよかったから
ぎりぎりぼっちはまぬがれていたwwwwwww
Tとも相変わらず仲がよく、同じ部活に入って毎日遊んでいた。
余談だがその頃、Tは団地から超豪邸の一軒家に引っ越すwwwww格差社会やべえwwww
思春期になると色んな事が気になった。小学校以上に貧乏はコンプレックスになる。
靴下に穴が飽いていたり、休日着る服がなかったり…
おかんはこの頃から少しずつおかしくなってて、
たまにヒステリックを起こしたり泣き出したと思えば過呼吸で倒れたり
熱出したり寝込んだり、そんな感じが続いた。
私は週末出した洗濯物が洗濯されてなかったり、
学校からのプリントなくされたり普通の家庭が当たり前なことが
(特にTんちはおとんもおかんもしっかりしてた。厳しいとこもあったが本当に普通の家庭だった)
うちの家では当たり前じゃないことにイライラしていた。
それでもまあ少ないながらに友達はいたし、部活も充実していた。
私は中三になる頃には町内の家から徒歩私ちゃん0分の公立校に受験を決めていた。
その頃からだった。おとんとおかんが夜中
私たちが寝静まってから毎晩何か話してるのに気づいたのは
私んちってさ、本当に小さい団地で、3kの間取りに5人が暮らしてたんだ。
んで寝るときはみんな同じ部屋だったのね。
部屋狭いし、テレビや暖房器具があるのがこの部屋だけだったから家族が自然とこの部屋に集まるの。
弟達は本当に熟睡してたみたいだけど、私たまに寝付き悪くて
布団に隠れて漫画よんだりゲームボーイしたりしてたんだよね。
それで私だけがおかんとおとんの話し声に気づいた。
てか同じ部屋で深刻そうな話すんなよっていうwwwwww
ばれないようにうっすら目をあけたら、おとんとおかんが向き合ってなんか話してた。
おかんが泣いてた。最初聞いてなかったからなんで泣いてるのかわからなかった。
一気に心臓がばくばくして、どうしようなんか大変なこと知ってしまったって思った。
今まで目の前でけんかしてるのは見た事なかったからね。
ばれないように話を聞いてると、もう話し合いはピークを杉田らしく
二人ともあまり喋らなくなったwwwwwwwwおいwwwww
でもおかんは泣き続けてた。おとんが何かを燃やしてるのが見えた。
おかんが「子供は私が引き取る」とかなんとか言ったのが聞こえた。
中三の私には衝撃が強すぎてこれ以上聞きたくなくて
「う〜んムニャムニャ」って寝ぼけて起きるふりをしたwww
おかんは急いで涙ふいてた。おとんも立ち上がって別の部屋行った。
その日はそれでおわたんだが、その日から探偵私が誕生した
私ちゃん日目はショックすぎて何もできなかった。聞きたいけど聞けないし、聞くの怖いし。
まさかリ婚?って思ったけど、
人間関係の狭い田舎でリ婚してるとこなんて私の周りにはいなかった。
だからそれはさすがにないだろうって信じてた。
まあ大人になった今リ婚って割と多いんだなーって気づいたけど
んでんで、まあ割と心が落ち着いてから勇気を出して
おとんとおかんのことを調べてみることにしたんだ。
といっても中三の私にできるのはかばんや引き出しあさる事くらいだったんだけど。
いつもおとんが使ってるいろんな仕事関係のプリントが入った引き出しを調べた。
それらしいものは何もなくて、代わりに私がちっさいときにあげた手紙や似顔絵が出てきた。
おとんも私らのこと大事に思ってくれてはいるんだって思った。
ちなみに引き出しの奥からはアスカラングレーのフィギュアが見つかったwwwww
あまり収穫がなくてほっとしたようながっかりしたような気持ちでキッチンに行くと
おとんの灰皿が洗われないままおいてあった。
そこまではいつものことだったんだが、灰皿の仲に何か燃えカスみたいなのが残ってた。紙だった。
ちぎれててところどころやぶけてたけど、
合わせてみると何か文字が書いてあった。おかんの字だった。
書き方は忘れてしまったけど、だいたいこんなかんじ。
「休みの日はいつもどこかいってるみたいだけど、
 りえさんですか?それとも○○さんですか?」みたいな。
多分他にもいっぱい書いてたけど、
私ん中で「りえさん」っていう女の名前が出てきたことが衝撃すぎた。
今でもそこだけは覚えてるんだけど、それ以外は頭真っ白になってぶっとんじゃった
私の中でおとんって、女に縁がないイメージ。
まあまさか自分の親が浮キしてるなんて思わんわなwwwwwそんな兆しもなかったし
おかんの文章もいつものおかんじゃなくて怖かった。
だって私の前じゃにこにこ面白くてきれいなおかんだったもん。
この辺から私ちゃん、2年くらいショックが強すぎて、毎日が辛すぎて、実はあまり記憶がない。
あった出来事や衝撃的な言葉は覚えてるんだけど、
毎日をどう過ごしていたか覚えてないんだwwww
あの頃は毎日泣いてたはずなのにな。
それから、ときどき深夜の話し合いは続いたみたいだ。
ときどき聞いてたけどもはや内容覚えてないんだよねwwww
弟達は本当に何も知らないから、
頼むからこんな子供が寝てる前でそんな話しないでくれよって思った。
最初の方はショックだったけど、それが長引くに連れてだんだんむかついてきた。
なんで受験頑張ってるのにこんなこと知らなきゃいけないんだ。
いっそ話し合いの途中に起きてやろうかwwwwwとか色々考えた。
辛かったけど、Tんちとか周りの友達んちって
仲いいとこばっかだったから相談もできなかった
そのまま私は受験を迎え、もやもやしながらもなんとか公立高校に合格した。
その頃には私は友達んちに入り浸り、家には夜遅くに帰るようになっていた。
あまり家にいたくなかったし、でもやっぱ仲いい友達の家族とか見せつけられると
悲しくなって「なんで自分だけ」って泣いたりもしてた。
兄弟の中で私だけがおとんの浮キを知っている。
弟達は何も知らずに今まで通り過ごしてる。しんどかった。
高校に入ってから、親の不仲はより一層ひどくなった。
話し合いすらなくなった。家に一緒に居ても全く会話がない。
気を使って二人を巻き込んで話そうとするも、どっちかが無視wwwwww私健気すぎwwwwww
もう家庭内別居だった。思い出したくもないしんどかった時期。
おとんがたまに早く帰ってきてもおかんはおとんを無視wwwwwww
おとんのご飯もないwwwwwwwおとんかわいそすぎwwwwww
5人揃ってんのに、ご飯は4人分なのwwwww
「お父さんのぶんは?」って聞いてもスルーwwwwww
おとんは仕方ないから寝るか、無言で弁当買いにいって他の部屋で食べてたwwwwwww
もうね。狭い家でそんなことすんなよとwwwww
おとんのなんとも言えない顔も、弟達の戸惑った感じも全部丸見え。
それでもまだいつか関係は修復できるって信じてた。
だって私たち子供がいるのに、家族バラバラになんかなるはずないって。
まあこんなことがありながらも私はぎりぎり道を踏み外さなかったし
遅刻や早退は多いながらも高校に通った。
中学から続けてた部活にも入って友達もできた。
基本の性格は変わってないが、高校デビューは成功だったと思う。
今までより爆発的に友達が増えた。
ただやっぱり家に帰るとしんどくて、居心地のいい場所ってのはなかった。
だから家にいるときはずっとゲームしたり漫画よんでた。
せっかく入った高校なのに、何となく「悲劇のヒロイン」チックになってた。
なんでうちだけって気持ちが強かった。
それであんなに頑張ってた部活もずる休みしたり、
制服きたものの遅刻したり学校はなんとなくしか行ってなかった。
かといって家がいいワケでもなかったので学校に行くしかないんだけどwwwwww
弟達はというと、弟1は超絶リア充に、弟2は人見知りネクラにそれぞれ育った。
あ、少し話しずれるけど家族崩壊の兆しというか
そういうのってあんまなかったんだけどひとつだけあったわwww
今まで私んちって、クリスマスイブの夜に必ずサンタさんがきてたのね。
うちって貧乏なのにさ、クリスマスの朝起きると必ず枕元にプレゼントがあったんだ。
しかもそれって結構高価なものが多くてさ。
プレステとかゲームボーイとか、私らが欲しいのばっかり。
三田さんに手紙書いて、サインも毎年もらってたwwwwwww
だからサンタさん中三まで信じてたんだよねwwwwwww
でも、家族がだんだん仲悪くなってきて、忘れもしない中三のクリスマスだよ。
その日私は補講があって朝早く起きたんだよ。
そしたらさ、プレゼントが毎年に比べてすんごい薄いの。
あけたら中身は図書券私ちゃん000円分だったんだよねwwwwwww
あwwwwwサンタさんっていないんだwwwwwwって気づいた悲しい日だったよ…
まあそんなこんなで高私ちゃんの途中。
冷戦が続いていた私んちだったんだけど、ついに事態が急変した。
久しぶりにおとんとおかんの言い合いを聞いたんだ。
恒例の深夜のね。おかんは例によって泣いてた。
んでまた「子供は〜」とか「どっちが出て行く」だとか、そんな話が聞こえてきたんだ。
この頃には少し慣れてたから「ああまたか…」って思ってた。
弟達には聞かせないでほしいなーって。
んで次の日。
久しぶりにおとんの引き出し見たんだよね。
そしたら、今までになかったリ婚届が一番上に入ってた。
もうずっと普通の家じゃないってことは分かってたけど、やっぱりショックだった。
見た瞬間号泣したし、じゃあうちら兄弟はどうなるんだよって思った。色々先が不安になった。
んでもうヤケになって、ひきだし全部あさったの。
そしたら、おかんからのおとんへの手紙が入ってた。
今度は燃えてなくてきれいな状態だったから全部読んじゃった。
結構長い文章だったんだけど、覚えてるのは最後のとこだけ。
「あの日、私はあなたにして欲しいといいましたね」
「あなたの答えはノーだった。
 馬鹿みたいだけどそれがあなたの気持ちを試す最後のチャンスでした」
「あなたは私を抱いてくれなかった。他の女の人は抱いてるのにね」
「色々ひどいことをされても、そういう面だけは信じてた。でももう限界です」みたいなの。
私まだ高校生でさ、親は親だったんだよ。男と女の面を見たくなかった。
だから手紙の内容は生々しくて、本当にショックだった。
それと同時に、おかんの気持ちを考えたらまた泣けた。
おかんはおとんのこと好きだったんだなって。
今結婚する友達が増えてる中で、親は親の前にまず大前提として男女であって、
恋愛の延長上に結婚があるんだから
だいぶ両親の気持ちも理解できるようにはなったんだけどね。
リ婚届には、おかんの名前だけサインしてあった。
ああ、うちんちって本当に終わるんだって思った。心の準備してた。
うちはもういつリ婚してもおかしくないって。
幸い自分はもう高校受かってたし、心配なのは弟たちだった。甘えん坊な二人の弟。
親がこんなことになってるなんて全然知らないし
男女間のことなんて理解もできないだろう。
そんで、いつ告知されるんだろうってヒヤヒヤしながら毎日を過ごしてたんだけど、
ある日おかんは家を出てったきり帰ってこなかった。
リ婚届はサインされないままひきだしにある。
おかんにメールしても、電話してもつながらない。凄く心配した。
おとんに聞きただすと、最初はすごいあやふやにされた。
それでも私ちゃん週間たって帰ってこなくて、弟たちも心配してて
そしたらおとんが「おかあさん今体調壊して入院してる」って言ったんだ。
うちら兄弟はそれを信じるしかなかった。だって本人とは連絡とれないんだもん。
まあこのときの真相も後で知る事になるんだけどねwwww
結論から言うと、おかんはこのまま一年間帰ってこなかった。
ただ、正直家の空気はましになったんだ。
私はおとんがはみられてんの見るのも辛かったから。
弟達はおとんよりおかんになついてたし、
おかんがおとんを無視するなら弟達も言いなりというか、それに従ってた。
私はおとんのことも好きだったからかわいそうって気持ちが強くて、
浮キしてたとしてもやっぱり見るのが辛かった。
おかんが出て行った後は、おとん仕事帰るの忙しいけど
おとんとのコミュニケーションが増えた。
おかんが居なくなるのは急だったから、
なんというか変に現実味がなくて、あまり寂しいと思わなかった。
弟達は寂しかっただろうけどね。当時中私ちゃんと小5だもん。
私はある程度性格の基礎ができてからの出来事だったから大丈夫だったけど。
このせいで弟1は特にこの後の人生に大きな影響が出た。
性格少し歪んじゃったんだよ。素直でかわいいやつだったのに。
今までおとんとちゃんと喋った事なかったけど、
おかんが居なくなっておかんの仕事はおとんの仕事になった。
慣れない料理やら洗濯やら、男手ひとつで頑張ってた。
接してみるとおとんは思ったよりもクールじゃなかったwwww
割とさむいおやじギャグ言うし、おならだってよくするwwww
浮キ知ったときにはショックだったけど、それを挽回するくらい主夫を頑張ってくれた。
高校のお弁当だって毎朝作ってくれた。
冷凍食品が多くて茶色い弁当だったけどありがたかった。
ただやっぱり弟達とは少しウマが合わなくて、私がよく仲を取り持ってた。
弟達はふたりともちょっとシャイというか、思った事を口に出せない。
おとんのこと怖かったんだと思う。優しいおかんに慣れて育ってたから。
おとんとはやっぱり少し距離をおいてるっぽかった。
この頃私には、高校で親友ができた。同じ部活で同じクラスだった子。
吹奏楽部でサックス吹いてたのでサックスにしようwwww
サックスは始めであったときとがっていたwwww敵も多い子だったし、怖かった。
ただ話してくうちにサックスの家も相当複雑で、
両親ともにダブルフ倫という重い境遇に居る事がわかった。
サックスには今まで人に話した事がなかった家のことを全部話した。
サックスは泣いて話を聞いてくれた。
多分サックスに合わなかったら私は部活も高校も辞めていた。どうなっていたかわからない。
サックスとは高校三年間で本当に色々話した。
高校生ながらに親のことを色々知ってしまった私たちはなんか悟りすら開いていたwwwww
本気のけんかもしたし、部活で全国にも行った。
今でもよく会うし、多分一生仲いいと思う。
本当に今思えばこれが私の人生の分かれ道その私ちゃんだったと思う。
高校でこんな理解者に出会わなかったら私は高校を中退していた。
部活だって奇跡的に友達のおかげで最後まで続けられた。本当にこれが救い。
高校あたりが今の私の基盤になっているし、
部活をやりとげたことが私の中の芯になっている。
部活のこともウォーターボーイズばりの青春ストーリーがあったんだけど、ここでは関係ないから割愛www
こんな感じで家庭は崩壊寸前ぼろぼろだったんだけど
高校生活はサックスに出会ったおかげで安定。
部活も楽しくなり熱血部活少女になっていた。恩師もできた。本当にこれが分かれ道。
弟は逆に、思春期まっただなかで家庭のごちゃごちゃがあったせいで
勉強をしなくなった。これも分かれ道。
弟1は中学で学年私ちゃんモテ男の超絶リア充だったけど、
数年後家庭環境のせいで道を踏み外す。弟2は更に根暗にwwwww
話は前後するけど、おかんが出てって半年後くらいかな?いきなり連絡がとれたんだよ。
おかんから電話がかかってきたの。
その時点ではまだ電話のみで、メールとかはつながらなかった。
だからおかんからの電話を待つしかない状態。
久しぶりすぎて「どこおるんよーー!」って怒った。
おかんは「ごめんねー体調悪くて…元気?」みたいなこと言ってきた。なんか元気なかった。
そこから一週間に一回だったり、一ヶ月に一回だったり、不定期で電話はつながるようになった。
半年もたてばおかんが居ない事にも慣れてたし、割とこの頃は穏やかに暮らしてた。
おとんにも普通に「今日はおかあさんから電話あった」とか言ってたし。
んでこの頃一回だけおかんが家に帰ってきたのを覚えてる。
おとんが居ないときだったから、おとんとタイミング会わせたんだろうね。
久しぶりの再会すぎて泣いたwwwwww
その日は少しだけ話して、でも今どこにいるかとかそういう話は答えてくれなくておしまい。
また来るからって別れたけどこのまま、また連絡つかなくなるんじゃないかとか不安だった。
まあ結局この後また半年くらい会えなくなるwwwww
そんなこんなで月日は流れ、私は高校二年生になる。
この頃は部活が忙しく、先輩も居なくなって毎日部活に燃えてた。
おかん問題も、もはや私ちゃん年も立てば割とふっきれてて、居ないのが当たり前みたいになってた。
家事はおとんが頑張ってくれてて、おばちゃんもご飯持ってきてくれたりしてた。
(おとんの姉 スナック経営 ちょっと苦手)
弟2は小学校卒業式におかん行けなくてかわいそうだったけど。
んである日、ついに家族の終わりがやって来る。
おとんが急に改まって、「今日学校終わったらすぐ帰ってきて」とか言うんだよ。
弟達にも同じこと言ってた。緊張した。
ついになんか結論が出るのかなって。
その日は部活休んで言われた通りまっすぐ帰宅した。
弟達ももう集まってて、兄弟三人並んで座らされた。
テレビ消して、おとんが正座して口開いた。
こんな改まるの初めてで、めちゃくちゃ緊張した。
「もう知ってるかもしれんけど、お父さんとお母さんはリ婚することになりました」
まあ分かってはいたけど、かすかに持っていた復縁っていう希望を粉々に打ち砕かれたwwwwww
涙が出た。横を見ると弟達も泣いてた。
んでおとんは更に衝撃的な一言を言った。
「明日、おかあさんがこの家に来るから。お父さんは席はずすから、みんなで会い」
「んで、実はお母さん赤ちゃんおるから」
は!???って感じ。リ婚までは想定してたけど、それは本当に初耳だった。
大型トラックにぶつかったみたいな衝撃だった。なん…だと…って感じ。
意味がわからなかった。赤ちゃん?親だれ?
私の兄弟になるん?とか色々考えが一瞬にして巡った。
おとんに聞いたら、おかんは家を出てったときに頼った男の人がいたらしい。
それはおとんじゃない、別の人。
その人との子供を妊娠し、もう既に生んでるとのことwwwwwww
本当についていけなかった。もうこの世に私の兄弟がもう一人いるってことかwwwwww
てか電話とかしてたじゃんwwwwいつの間に生んでんのwwwwwww
そのときは泣いて泣いて、弟達も号泣して、変な空気のままみんな泣きつかれて寝た。
次の日ももちろん学校で、行きたくなかったけど仕方なく学校いってずっと考えてた。
サックスにももちろん話した。泣いて応援してくれた。
一日たって芽生えた感情は、再会の喜びでもリ婚の悲しみでもなくて、
おかんと赤ちゃんに対する憎しみ。
前日からずっと色々考えた結果、本気で殺そうとまで考えたんだ。
それか自分が自コロするか。それくらいおかんの行動は裏切りにしか思えなかった。
おとんの浮キのときよりショックだった。
高校二年のガキが考えることだから今思うとばかだなーって思うけど、
本気で包丁がどれだけとがってるか確認したりした。興奮したjk怖い。
あのときは、おかんに裏切られたショックは一生消えないもんだと思い込んでいた。
あんなに辛い感情の中で、これから未来の幸せが想像できなかった。
子供だったから、実家が全てだったし家を出る事もできなくて、もう終わりだって思ってた。
頭の中で何度もおかんと赤ちゃんをコロすシミュレーションをした。
そしてその後の自分のジ殺までも。
それとも私だけ自コロして、おかんに一生罪悪感を背負わせた方がいいかな?とか色々危ない事考えた。
感情が溢れ出して、ノートに「しねしね」書きまくったwwwwww
でもふと、私がサツ人鬼になったら弟達はもっとショックを受けるのかな とか考えて決心は揺らいだ。
とりあえず、家に帰って自分がどんな行動するのか自分でもわからなかった。
おかんに会いたいような、でも会ってしまうと子供の存在も認めてしまうから
会いたくないような、凄い複雑な気持ちで遠回りしながら家に帰った。
おそるおそる家のドアをあけると、おかんの靴があった。
部屋まで行くと、おかんと弟達と、あと赤ちゃんがいた。
弟達は昨日泣いてたのが嘘みたいに嬉しそうに笑っていた。
少し弟達にも裏切られたような気がした。
あんたらうちら兄弟を裏切ったおかんをなんにも思わないの?って思った。
でも、おかんの顔を見た瞬間今までの憎しみの感情が全部ふっとんだ。
気づいたら、包丁取り出すどころかおかんに抱きついてわんわん泣いてた。
おかんも私を抱きしめて泣いてた。
中学生や小学生の弟が笑ってるのに、高校2年の長女が一番大泣きしたwwwww
「ほんとにごめんね…」おかんが泣きながら謝った。
あんなに殺そうと思ってたおかんはやっぱり昔のままおかんで、
ぐちゃぐちゃに泣いてるおかんを見ると怒る気にもなれなかった。
会えたことが嬉しかった。やっぱり離れても家族は家族なんだなあと実感した。
んで、少し落ち着いてからやっと赤ちゃんのほう見た。
実はというと、私はおかんよりも赤ちゃんの方が憎かったんだ。
なんでうちら家族は壊されてんのに、
生まれて来るあんたには家族があるんだって嫉妬してた。
おかんを取られた気にもなったし、うちの兄弟は三人だけだって思ってた。
でもね、見るとやっぱかわいいんだよ。なんの汚れも知らない顔してる。
この子に罪はない、顔みた瞬間思った。
んでまあ色々話して結果和解って形になったのかな。
色々心に傷はおったけど、おかんはおかんだし、また会えないのは辛い。
その日は一緒にご飯食べて、おかんはまたどこかに帰っていった。
現実的な話をすると、結局私たち兄弟はおとん側に引き取られることになった。
といっても、名字もこのままだし家も今のままの団地。何も変わらない。
この一年でおかんが居ない事には慣れてたし
リ婚したからといって何が変わる訳でもなかった。
ただ、おかんとはちゃんと連絡が採れるようになった。それが嬉しかった。
おかんは赤ちゃんと、その父親と一緒に暮らすことに。
おかんのことは許せても、やっぱり相手の男は気に入らないので
そいつの話は一切聞いてない。だから今でもそいつの名前すらしらない。
あ、ちなみに赤ちゃんは女の子でした。これから妹と呼びます。
そんな感じで、とりあえず長年にわたる家庭内別居や家族不仲に結論がでた。
結果的にリ婚したことによって格段に気持ちは楽になった。
もうあんなけんか見なくてすむんだから。
ここから数年間、間にちょくちょく問題はあるものの
ピークよりはかなり穏やかに暮らす事になる。
私は高校生活で彼氏もでき、友達に恵まれ、部活も相当頑張った。
高校後半はリア充だったと思う。部活のおかげで熱血的な性格になり
信じればかなう!!といつも思っていた。
サックスもかなり熱血系で、文化祭も体育祭も凄く楽しめた。
弟1はモテモテ人生を歩み、中私ちゃんにして初カノ。
中学を卒業するまでに計4人の彼女と付き合うことになる。
高私ちゃんには脱DTの超絶リア充だ。
しかし勉強不足がたたって公立高校に落ち、
県内トップのDQN高に進学したことによって今後の人生が詰みかける。
弟2はというと弟1の輝きっぷりに「弟1の弟」と
中学で兄と比べられる立場になり自分に自信をなくす。
兄コンプレックスからかなり人見知り軽度のコミュ障で厨2病を発祥する。
髪型はバンプのボーカル。しかし心はとても優しく育つ。多分今もDT。
こんな感じで兄弟は育っていく。
私ももう以上家庭のしんどいことは起こらないだろうと思っていた。
とりあえずこれでリ婚編完ってかんじ。
そのあと最近の話に続くんだけど、
その前にリ婚直後の周りの反応とかちょっとだけ書こうと思ってる。
とりあえず親はリ婚。
私たち兄弟はおとん側、おかんは妹と相手の男と3人で離れて暮らすことになった。
とは言っても同じ市内には住んでいたのでたまにおかんにも会えるようになった。
あれだけ憎しみを抱いてた妹も、やはり触れればかわいいと思ったし、
ふとしたときに「おかんはもう自分らだけのおかんじゃないんだな」って
寂しさはあったものの毎日は平穏になった。
でも、やっぱり周りの反応や態度はいいものばかりじゃなかった。
まず友達。高校の友達には凄く迷惑をかけた。
サックスには全部話していたから、
私がたまに部活休んだり学校休んだりするのも理解してくれていた。
でも周りの子はそうじゃなかった。
大会前で練習が大変なときに練習を休む私を快く思わない子もいた。
まあ実際簡単にしか話してなかったから私も悪い。
リ婚後はちゃんと部活にも参加するようになったのでこれは次第に解決していった。
でも、やっぱり育った環境が違う人に何を言っても伝わらないって学んだ。
んで地元の友達。小学校からの友達(Tではない)の家に遊びにいったときのこと。
その子のお母さんはザ保護者って感じの人だった。
世話焼きでうわさ話が好きで…ってかんじ。まあ悪い人ではないんだけどね!
「こないだ私ちゃんのおかあさん久しぶりにみたよ」って言われたのがきっかけで
友達に軽くリ婚の事、妹ができたこと話したんだ。そしたら
「やっぱり!?うちのお母さんが絶対私ちゃんのお母さん妊娠してるでって言ってたもん」
って言われた・・・やっぱり団地内で少し噂になってたみたいで
好奇心で噂のマトにされてたのを知って凄く嫌な気分になった。
これがきっかけで、もう聞かれない限り
自分ちのこと話すのは辞めようって思った。
んで一番ひどかったのはおとん側の身内。
つまりばあちゃんやおばちゃん(おかんの義姉)だった。
じいちゃんはこのとき既に他界してたんで、おとん側は女しかいなかったんだ。
女の悪口ってえげつない。
私はばあちゃんのことも好きだったし、長女ってこともあって一番かわいがられてた。
だからばあちゃんは私に激あまでめちゃくちゃ優しかったんだ。
「おなかすいてないか?お菓子いらんか?」ってすごい優しいばあちゃんだった。
リ婚後にばあちゃんちに行ったときに、ふたりきりになったとたん言われた。
「私ちゃんはあんたのお母さんみたいな人間になったらいかんよ」って。
普段のばあちゃんから想像つかない、意地悪い顔してた。
汚いものの話でもするみたいに
「私ちゃんはかわいそうにね、子供達を捨てて他の男のところに行くなんて」
って何度も言われた。
ばあちゃんは好きだったけど、おかんの悪口を聞きたくなくてばあちゃんとあまり話さなくなった。
おばちゃんにも似たようなこといっぱい言われた。
「お母さんとは連絡とってるの?」
「お父さん男手ひとつで家事頑張ってるのにねえ、かわいそうなお父さん(自分の弟)」
おかんへの嫌味いいながらご飯作って持ってきたりしてた。
正直家の事には関わって欲しくなかった。
あとはTと遊んでる最中に偶然会ったおかんの友達。
私を見つけたとたん「私ちゃん!!!少しだけ話させてくれんかなあ!?」
と凄い勢いで話しかけてきた。
Tも一緒に居たけど、あまりにお願いしてくるから少しだけカフェ行って話聞いた。
そしたらTがいる前で泣かれた。
「私ちゃんのお母さんはね、私ちゃん達に会えなかった1年間ずっと泣いてたんだよ」
「赤ちゃんができたときだって降ろしてジ殺しようとしてた」
「泣いて吐いてを繰り返して、やっと決心して産んだんだよおおお」
「でも、私ちゃん達の事すっごく大事に思ってるから、
 それだけは忘れないであげてねええええ!!!!」って。
おかんが苦しんでた事くらい痛いほどわかってる。
でもそれと同じくらい私だって傷ついた。
おかんの友達がおかんをかばってることは凄く伝わった。
でもそっとしといてほしかった。Tもひいてたしwwwww
正直こういう偽善みたいのは本当にうっとおしかった。
私たちが子供だからって、大人はすぐ同情したり
悪者がどっちか決めつけたり勝手なことをする。
弟達だってリ婚したことによってそういう嫌な思いも少なからずしたと思う。
高校は楽しかったけど、こういう周りの環境から抜け出したかった。
家族を少し距離をおきたかった。噂だらけの狭苦しい田舎にも嫌気がさしてた。
んで、私は高校を卒業したら県外に出る事を心に決めた。
18の春、私は県外の専門学校に進学することが決まっていた。
まあ進学についてもひともんちゃくあったんだけど。
私は本当は大学に行きたかったんだ。
同じ部活の友達と、推薦で受験を希望していた。
「大学に行っても一緒に部活は入ろうね」って約束して。
金銭的にうちが厳しいのは分かってた。
でも進学校で生徒のほとんどが大学に進学するうちの高校で、
一人おいてけぼりにされるのは凄く焦った。
キラキラした未来に私も一緒に行きたい!そう思って頑張って受験勉強した。
で、なんとか大学合格。友達と泣いて喜んだよ。
でも合格発表の日の夜、おとんに
「やっぱり金銭的に大学は行かせてあげられない。行けても2年が限界だ」って言われた。
私が大学に行ったら弟達が進学できなくなる。
そう言われておとんと大げんかした。
「だったらなんでもっと早く言わないんだよおおおおおおお!!!!」
「合格しちゃったんだよおおおお!!!!やだやだ絶対大学行きたい!!」
「部活がしたい!!!!お願い!!!!バイトも頑張るからああああああ!!」
泣きながら土下座したwwwwww
だって私推薦がだめだったときのためのセンター講座まで受けてたんだよwwwww
なのに大学やっぱ無理とかwwwwwwwマジ勘弁wwwwwww
おとんの言い分はこうだった。
「私ちゃんにとって部活がどれだけ大切なのかはわかってる」
(実際全国行くくらい頑張ってた)
「私ちゃんが大学行きたがってるのもわかってたから、
 なんとかしてお金をやりくりしようと思った」
「奨学金や教育ローン、色んな手を使って私ちゃんが大学に行ける方法を考えた」
「それを算出したり見積もりだしたりする間、
 希望があるうちは受験勉強を頑張ってほしかった」
「でも、やっぱり数年先まで計算した結果、
 入学はできても2年くらいで学費が絶対に払えなくなることがわかった本当にごめん」
現実的に説明されて、本当に私は大学に行けないのかと分かったとき目の前が真っ暗になった。
それでも私は譲らなかった。絶対に大学に行きたい。
他の子は簡単に手に入るものがなんで私は何も手に入らないんだ。
泣きまくって、怒鳴りまくって、んでその日の夜家出したwwwwwwww
おとんと言い合いをしたのはこれが初めてでこれ以降もない。
夜中の公園で月を見ながら冷静に考えて、高校生の力じゃなんにもできないことに絶望した。
結局頭冷やして、どんなに願ってもかなわないことってあるんだなって悟った。
家に帰って自分の新たな進路を探そうと思った。
もう時期は冬で、だいぶ自暴自棄になってたけど適当に興味ある専門見つけて
「二年なら学費出してくれるんでしょ」って無理矢理家を出た。
大学に行きたかったのは本当だが、それよりも家を出たかったんだと思う。
一年バイトして学費を稼ぐって手もあった。
でもそれをせずに適当な専門に入学した。
今思えば人生とおまわりの始まりだなwwwww失敗して得たものも大きいけどね。
おとんといざこざはあったが、春、私は無事専門学校生になった。
おかんも応援してくれたし、おとんは毎月少ないながらも仕送りをしてくれた。
家をでて初めての一人暮らしが始まったんだが、もう天国だった。
ホームシックなんてもんは全くなかった。
最初文句いってた専門ではたくさん友達ができた。
自分が本当にやりたかった専門分野かと聞かれるとイエスではなかったが
それを忘れるくらい毎日が楽しかった。
上京してすぐにバイトも始めたんだけど、
バイトでもおもしろいくらいに友達ができ、好きな人だってできた。
朝から夕方まで学校いって友達と遊んで、夜バイトにいってたまに飲み会に参加する。
人生で初めて心から楽しいと思った専門2年間だった。
この頃は時々親に電話したり、長期の休みには実家に帰ったり。
他の子となんら変わりない生活をしていたと思う。
離れて暮らしているからか、自分の家庭環境の事も気にならなくなるほど毎日が充実していた。
大学コンプレックスはやっぱり少しあったけど、
バイト先の他の大学の子とキャンプ行ったり合宿したり
かなりリア充な生活を送れたんじゃないかと思う。
おとんに電話しては弟達の近況を聞いたり、そんな感じで本当に平和な二年間を過ごした。
時系列は若干前後するけど、この頃弟1が高校受験に失敗する。
前にちらっと書いたけど、公立に落ちて入学したのは県内で有名なDQN高。
部活もあってないようなもんで、特に弟の学科は校内でも更にDQNの巣窟だった。
金髪茶髪は当たり前、大学進学率ほぼゼロの底辺高校だった。
弟1はもともと天性のリア充の素質があり
私とは比べ物にならないほどコミュ力に長けていた。
そんで中学では運動部で頑張ってたもんだから、
女子のファンがついてクラスでも中心的存在だった。
弟1も、部活を頑張ってたんだ。高校に入っても部活を続けるつもりだったらしい。
でも弟1が入学した高校に、そんな本気の部活はなかった。
一応中学と続けて運動部に入部したんだけど、先輩との折り合いが悪くてすぐ退部する。
このときのこと思い出すと胸が痛くなる。
中学で自分のラケットやジャージ買って嬉しそうにしてた顔とか
試合で負けて落ち込んでた顔とか、私は弟1が部活大好きなのを知ってた。
だから高校でせっかく入った部活を辞めるって言い出したとき、凄くショックで必タヒに止めた。
私が高校に最後まで通えたのも、友達と部活のおかげだった。
部活辞めるって、学校での自分の居場所がなくなる感じするんだよね。
私も何度か辞めようとしたけど、友達が止めてくれたから最後まで頑張れた。
その結果部活をやりとげて自分の力の限り
頑張れたっていう事実は、その後の自分の大きな自信になった。
だから弟1にも最後までやり遂げて欲しかった。
「絶対後悔する、辛いのを乗り越えたとき本当の喜びがある」って
かなり熱く説得したけど、弟1は結局部活を辞めてしまった。
そこからまた、穏やかになってたはずの家族がざわつき始める。
部活を辞めてからの弟1の転落っぷりは凄かった。
中学からずっと一筋で頑張ってきた部活を失った弟1は、なんにも頑張らない人間になる。
柄の悪い先輩とつきあい始め、服装や髪型もどんどん変わっていった。
B系ファッションに走ったり茶髪になったり、
どこで手に入れたのかわからない高価なジーパンや、なぜか携帯を何台ももったりしてた。
狭い団地に女連れ込んで家族の許可なく泊まらせたり、夜遊びに出て家にも帰らなくなった。
弟1はどんどんDQNに変化してった。
私はこの頃一人暮らし真っ最中で楽しかった時期だから
弟1が部活辞めてからはおとんの電話で近況を聞くくらいだった。
おとんとおかんはうちら兄弟のことについては
リ婚後も報告し合い助け合うという方針になっていたため
おかんも弟1の状況はよくおとんから聞いており、心配していた。
ちなみにリ婚後しばらくは、おとんおかん間の関係も格段に良好になった。
メールでうちら兄弟のことについては話し合ってたみたいだし
おかんに会う日みたいなのも決めてて、ふつうにおかんが家に遊びにきたりもしてた。
でもいつからか、弟1の素行不良に加え、おかんのほうにも問題が出てきていた。
私は毎日が楽しくて全然気づかなかった。
おかんのほうについて。
ちなみにこの頃の話は私が家を出てからのことだから
高校までみたいに身近で起こった事ではないんだ。
だから記憶があいまいだったり、時系列が若干ばらばらになってる。
その間に私はちょくちょく実家に帰ったり
電話やメールしたりしてるから、そういうときに近況聞いてた。
リ婚後新しい家庭を持ったおかんだったけど、その幸せも長くは続かなかった。
詳しい時期は忘れたけど、新しい男とはうまくいかなかったみたいで割とすぐに別れる事になった。
聞きたくないからあんまり聞いてないが、
相手の男は以前からおかんに好意を寄せてた人物だったらしい。
おかんよりもだいぶ年下で、おかんが辛かったときに支えてくれた人だと聞いた。
妹が初めての子で、多分結婚もしたことない人だと思う。
妹ができたあと3人で一緒に住み始めたが籍は入れてなかったので
リ婚のときよりはだいぶあっさり関係は終わった。
まあ金のつながりや妹関係のことで時々連絡はとってるみたいだけど。
ここでおかんのことについて少し話す。
美人美人と書いてきたが、おかんは確かに美人だった。
同級生の保護者の中じゃダントツだったし、見た目もやることも若かった。
正義感が凄く強く、たとえ相手がどんな立場の人であろうと
間違ってる事には間違ってると言う人だった。
バイトをすれば職場の中心人物になり、
保護者参加のイベントごとにはリーダーに選ばれるような人だった。
おかんには何か人を引きつけるカリスマ性のようなものがあった。
どこに行っても何か革命をおこし、必ず支持者ができ何かを変える。
そんなおかんがかっこいいと思ったし、
おかんの話を聞いて育った私はおかんと全く同じ考え方を持つようになっていた。
おかんはよく私におかんの幼い頃の話を聞かせてくれた。
それは漫画みたいにおもしろくて波瀾万丈で、聞くたびにわくわくした。
おかんは極道の家にうまれた。
小さいときはそれこそごくせんの世界みたいに育ったらしい。
私も何度かだけ本当のおじいちゃんの家に行った事があるが
超豪邸でシロクマの毛皮(顔付き)が玄関にひいてあったwwwww
昔から美人だったおかんはかなりモテたらしい。
やんちゃな性格で、男の子の友達のほうが多くて運動神経もすごくよかったと自慢された。
高校のときなんか、おかんを見に他校から男子が来ていたらしいwwwwww
学生時代のことを凄く楽しそうに話すおかんを覚えている。
「私ちゃんはモテないの!?ママの子なのに!?笑」ってよく言われたwwwww
おかんはかなり明るい性格だった。
若いと言われれば調子に乗るし、よく変な歌つくって歌っていたし、
おとんが遊んでくれない分かなりいろんなとこに連れてってもらった。
行く先々でよく笑い、よく歌い。
私たち兄弟がおかんのはしゃぎっぷりにつっこむくらいだった。
おかんは根っから明るい性格。そう思っていた。
話に聞く華やかな学生生活とは反対に、おかんの家庭環境もまた実はかなり複雑なものだった。
おかんが小さい頃、おかんの両親はリ婚。
その後父母ともにサイ婚し別の家庭を持つようになる。
(私が本当のおじいちゃんにあまり会えなかった理由はこれ)
リ婚後おかんは育児放棄され、じいちゃんばあちゃんに育てられる。
(おかんのおかんのおかん。私のひいじいちゃんとひいばあちゃんにあたる)
ひいじいちゃん達が生きてる間はひいじいちゃんちも時々行ってたけど、すっごい狭くてすっごいぼろい。
部屋なんか二部屋しかなくて、どっちも4帖くらいしかない。
電気も暗くて、豆電球しかなかった。
未だにぼっとん便所で、多分昭和初期とか
下手したら大正とかに建てられたような家だった。
そんな時代にとり残された家に、
おかんはひいじいちゃんたちと3人、高校生までずっと暮らしてた。
友達にボロい家を見られるのが恥ずかしかったと、おかんは言っていた。
今これを書いててもう何年も行ってないひいじいちゃんちを思い出して切なくなった。
細い路地裏と商店街に囲まれた、風情のあるボロ家だったなあ。
おかんはリ婚後大きくなるまでそのほとんどをひいじいちゃんたちと暮らしてたわけだが、
一度だけ母が迎えにきたことがあるらしい。
おかんの母(私のおかん側のばあちゃん)というのもまた美人で、年の割に若い人だった。
サイ婚した家におかんを引き取りにきたのだが、
それはもう既におかんの異父兄弟(サイ婚相手との子)が3人産まれたあとだったそうだ。
何年もひいじいちゃんちに放置されて
数年越しに迎えにきたと思ったらもうおかんの居ないところで
おかん以外の「家族」ができあがっていたらしい。
何年もその「家族」で住んでいた大きな家に、おかんの居場所はもちろんなかった。
本当の母とくらせるとは言え、疎外感ははんぱなかったらしい。
それに加えて、おかんの母のサイ婚相手はDV酒乱男だった。
いつも酒に酔っては家族に暴カをふるっていた。
これは本当に最近になって知った話だが、
おかんはそのDV男に首を締められたことがあったらしい。コロされると思ったらしい。
そんなこともあり、結局おかんは新しい母の家になじめず
またひいじいちゃんの家で暮らす事になった。
当時はたんたんと聞いていたが、おかんの孤独や親に捨てられる悲しみは
どんなものだったんだろう。計り知れない。
こうした背景があって、おかんは大人になり、おとんと出会った。
昔私はおとんとおかんのなれそめをよく聞きたがっていたんだけど、
いつもはぐらかされて教えてくれなかった。
数年後私が大人になってから全てを知る事になるんだけどwwwww
こんなに重い過去を背負っていながら、おかんは明るかった。
その後ろにある闇なんて全然見えなかった。
ちなみに簡単にキャラ付けをすると、
おかんの育ての親ひいじいちゃんひいばあちゃんはかなりの人格者。
穏やかで、おかんを愛情いっぱい育ててくれた人たち。
おかんもひいじいちゃん達が大好きだった。
んでおかんの母というのが多分股の緩い女でちょっと頭弱い人。だからDV男にひっかかった。
DV男は私からすれば義理のおじいちゃんにあたる人になる。
小さい頃会った事があるけど、私には優しいただおじちゃんに思えた。
でもおかんの母含む家族みんなに嫌われてたから
酒飲んだら本当に人格が変わるんだろうね。
おかんとはあまり関係ないから簡単に書くけど、
私が小学生のときに結局おかんの母家族はDV男から夜逃げし、DV男は薬のんでジ殺した。
とにかく私の家系(特に母側)はリ婚あり夜逃げありジ殺ありの問題家系だった。
そういえば小さいときから色々あったなあと今になって思う。
ただ私以上にひどい家庭環境で育ったおかんは、強い人に思えてた。
おかんも自分自身を強いと言っていた。
でも、自分の事を強いって言う人って何かの拍子でくずれると本当は凄く脆いんだよね。
おかんは紙一重でメンヘラになりうる素質を持っている人だったんだ。
今じゃ軽々しくメンヘラって言葉は使われてるけど、
おかんには幼少期から蓄積された本人も気づかないような深い深い心の闇があった。
話を現在に戻す。
弟1が荒れ始め、おかんは妹と二人暮らしになった。
弟1はB系→お兄系→カジュアル系へと進化していった。
ひどいときはホストみたいな変な前髪があった。きもかった。
弟2は相変わらず弟1が反面教師になり
目立たないながらもまじめで優しい人間に育った。
DQNになった弟1はだんだん学校に行かなくなりK察沙汰を起こすようになった。
詳しい事は聞いてないが、万引き窃盗喧口華、色々やったみたい。
おとんはその度に仕事中なのにK察に呼ばれた。
学校だって、朝おとんが仕事に行くときに一緒に学校に行くふりをする
→おとんが行ったのを見計らって学校に行かず家に帰って学校をさぼる
を繰り返していたらしい。学校から「このままでは進学が危うい」と連絡がきた。
おとんは弟1の非行に疲れきっていた。
元々真面目で安定思考のおとんと家庭環境も影響しているとはいえ
勉強をしない弟1は仲がいいとは言えなかった。
しかもおとんも弟1も感情を出すのが不器用で
家に居るときはいつも私がお互いをフォローする役目だった。
私は一緒に暮らす中で唯一の女というのもあり
家族の潤滑剤的な立場だったんだけど、
私が家を出てから弟達とおとんとの間には深い溝ができつつあった。
いくら言っても学校に行かず問題ばかりを起こす弟1に、ある日おとんがついにキレた。
弟1をぶん殴り、弟1は鼻血を出した。
弟2もその騒動に巻き込まれ、おとん対弟達になった。
今までおとんに本気で殴られたことのなかった弟1は
それに対して逆切れし、溝は一層深まってしまった。
ほんと男って不器用だなーと思うwwww
おとんも小さい頃あまり接してなかった分、
どうやって心を開けばいいのかわからなかったみたいだ。
私からしてみればおとんは仕事しながら家事もこなし
充分私たち兄弟の為に頑張ってくれてたと思うのだが、
弟達はまだそのへんがきんちょで、
仕事しながら3人の子供を育てるってことの大変さがわかってなかった。
おとんもついに呆れてしまって、勘当まではいかないけど
弟達を育てる自信をなくしてしまったらしい。
おかんに「自分の子供だけどあいつらのことがわからない」と漏らした。
なぜ私がこれを知っているかというと、
おかんはあったこと全てを私にメールで報告してきていた。
だからおとんがおかんに話した内容、悩み、近況は全てオートで私のもとに届いていたwwwwww
子育てに関してだけど、おとんが常識や勉強、社会の厳しさについて担当。
おかんが倫理、思いやり、考え方について担当っぽく自然となっていた。
おとんは言ってる事は正しいけど言い方がぶっきらぼうだったり
たまに計らずとも人を傷つけたりする。
おかんは部屋の掃除ができなかったり、
ぶっとんだことをたまに言うが誰よりも人の気持ちを考え、
そういう心の発達の面では一番伝えるのがうまかった。
おとんよりもおかんに懐いていた弟達は、
リ婚後5年目くらいにおとんとこれ以上暮らせなくなり、おかんが弟達を引き取ることになった。
おとんとの折り合いが悪くなり、おかんの元で暮らし始めた弟達。
これでおかん側にはおかん、弟1、弟2、妹の四人
団地の方の実家にはおとん一人(+犬猫)が暮らすことになった。
このへんは全部メールで聞いていたことで、
十数年間住み慣れた家から弟達がいなくなるって大変だった
んだろうけど、私はあまり実感のないまま事態は動いて行った。
話を聞いたとき「おとん寂しくないかな」って心配になった。
この頃から私は仕事の忙しさや家族間のわずらわしさが
めんどくさくて実家にあまり帰らなくなる。
おとんが一人で暮らしていると聞いてなんだかかわいそうになり
時々電話でどうなったか聞いていたが、おとんは割と元気だった。空元気にも見えたけど。
おとんとおかんが別れた理由は大雑把に言ってしまえば性格の不一致とおとんの浮キ。
片付けができなかったりルーズだったりするおかんにおとんはよく怒っていた。
リ婚してからも、時々「お母さんのルーズなとこはまねをするな」と言われていた。
だからおとんはおかんを見下しているというか、そんな印象を受けていた。
でも、実はおとんはおかんの育児の部分については尊敬していたらしい。
このとき初めておかんをほめる言葉を聞いた。
「お前のお母さんは、精神的に不安定なとこがあったり家事はできない」
「けど誰よりも人の心を動かす言葉を話す」
「一番お母さんの言葉が必要だった時期に弟達とお母さんを離れさせてしまった」
「お父さんはそういうの苦手だから、
 お母さんのそういうあったかい部分は本当に凄いと思ってる」
「だからお父さんには無理だった弟達の心を開く事も
 お母さんならやってくれるだろう」って。
きっとおとんは本当は寂しいんだろうなって思った。
弟達とどう接したらいいかわからなくて、つい手が出ちゃったんだろうなって。
おとんだって不器用ながら私たち兄弟のことを愛してくれていた事は分かっている。
リ婚した直後、私ちゃん枚だけおとんのメモ?みたいなのを見つけたことがある。
よく手紙や日記を書いていたおかんと違って、
おとんが何か心情を紙に残すなんて初めて見たから、相当胸に来たんだろう。
紙には「○○(おかんの名前)が今日、家を出て行った」
「後ろ姿を見て涙が止まらなかった」とだけ書いてあった。
最後の方は完全に男女の愛情は冷めていたんだろうけど
おとんにもそういう人間らしい感情はあるんだろうなと思った。
私達子供の前では絶対見せないけど、
おとんはおとんなりのやり方で私たちを育ててくれていた。
思ったよりも妹も弟達に懐き、おかんのほうでは4人での生活が始まった。
でも、収入のないおかん一人と子供3人の生活はかなり苦しいものがあった。
車がない、お金がない、それに加えて弟1が学校に行かない。
妹はどんどん成長していく。おかんのストレスは凄まじいものだったと思う。
それでもおかんは「一番大事な時期にいられなかった分、愛情で埋めるから」と言って頑張っていた。
荒れてひねくれた弟1にも前みたいに明るく接していた。
おかんは「学校行かないとままがチューするぞーっ!」とかって
冗談まじりに弟1にいつも声をかけた。
弟1も「やめろババア」とか言いながらも笑ってて、
本当に少しずつだけど学校に行くようになった。
おとんも金銭面で少し支えたり、車を貸したり
色々とおかんに協力してくれてたみたいだった。
それでもやっぱり完全に心を開くとこまでいけなくて
弟1の非行はマシにはなったものの、昔みたいな素直な弟1には戻らなかった。
おかんはせめて高校卒業はきちんとさせてあげたいと毎日頑張っていたが
時々しんどかったんだろうね。
時々私に愚痴というか、落ち込んだような内容のメールが届く事があった。
最初は私もそれにちゃんと返信し、時々連絡したりしておかんを励ましていた。
でもそんな暗い内容のメールが少しずつ増えてきて
私はだんだんとメールを返信することがめんどくさくなっていった。
私は実家から離れた遠くの土地でさ、家族の問題からも離れて自由にやってたから
今更なんで私が家族の事で悩んだりしなくちゃいけないの?って思ってた。
遠くに居るからっておかんがしんどそうなことや、
弟1の問題がかなり深刻なことを見て見ぬふりしてた。
もう充分傷ついたんだから、これ以上関わって欲しくなかった。
んであまりメール返さなくなってたんだけど、
少しずつ少しずつおかんのストレスはたまっていって、だんだん体の方にも異常が出始めた。
最初のうちは過呼吸とかヒステリックとか、そんな感じ。
これは一緒に暮らしてたときも少しあったものだった。
昔は明るいおかんのときがほとんどだったから、
ヒステリックとかたまに起こるくらいだったんだけどね。
今思えば、片付けられないのとかそういうのも
精神的なのから来るおかんの病気みたいなもんだったと思う。
おかんのほうの新しい家は、次に私が里帰りするときにはぐちゃぐちゃになっていた。
色んな問題を抱えながらも、それでもおかんは頑張り続けた。
いよいよこれ以上休むと卒業がやばいってなった弟1を、
おとんの車を借りて毎朝高校まで送り届けていた。
補修も必タヒに説得してなんとか全部行かせた。
一回でも欠席や遅刻をするとアウトだったから、相当頑張ったと思う。
おかんのおかげで、弟1はぎりぎり高校を卒業することができた。
私は年に2回くらいずつ実家に帰省してたんだけど、
正直どっちの家に帰ったらいいかわかんないんだよね。
さらにばあちゃんとかにも会おうと思ったら日数が足りなくなる。
初めて団地のほうに帰ったときは辛かった。
住み慣れた家に人の気配がないんだもん。
おとんは毎日仕事に疲れて帰ってきて、
こんな静かな家で一人(犬はいるけど)で住んでるのかと思うと切なくなった。
どうしようもないけど。
んでそのときも、一日目はおとんの方に泊まって
二日目はおかんのほうに泊まる予定だったんだ。
このときはヒステリックもときどきあるけどまだそこまで酷くなくて
帰ったら「久しぶり!なんかあか抜けたなあ!」とかって笑って出迎えてくれた。
うちは妹をはずしたら男ばっかで、
ちゃんと落ち着いておかんと話ができるのって私くらいだった。
私ももうこのときは成人もしてたし弟1の話たまに聞いたり
だいぶ考え方が大人になってきてたから(まだまだ子供だけど)
おかんと対等に話すようになってた。
兄弟の中でも一番まともに進学して就職してたし
おかんも私の事を信用してくれていた。
そんで見た目はおかんも若いもんだから、本当に友達親子みたいになってた。
「私ちゃんの服かわいー!ままもそういうの欲しいなー」とか
帰省したときは一緒にカフェとか雑貨屋巡ったりもした。
おかんの中で私は、いつの間にか娘を超えて相談相手になっていた。
その日もお昼のうちは雑貨巡りして、ドライブして家に帰った。
愚痴のメールの返事はめんどくさいと思っていたが、
会ってみればやっぱり明るいおかんで安心していた。
久しぶりにおかんの手料理を食べて、
弟1は途中で夜遊びに行っちゃったけどまあ私に対しては普通で
思ってたほど問題ないじゃんって思った。
お風呂入って、3人並んで(弟1は夜遊び、弟2は別の部屋)
布団引いて寝ようとしたときだった。おかんが話しかけてきた。
「私ちゃん、まだ起きてる?」
私はおかんに背を向けて寝ていて、その格好のまんま「起きてるよ」って返事をした。
電気を消して布団に入ったまま、おかんは少しずつ話しだした。
昼間のドライブのときは妹もいたし、私とふたりで話せる機会を待っていたらしい。
弟1の問題、凄く大変でしんどかったこと。
お金がなくて大変なのに妹の父である男も、おとんもあまり助けてくれない事。
体がしんどいこと、喘息や過呼吸が最近多くなってきたこと…
話は全部おかんが普段吐き出せないことばかりだった。
話の中にはショックなものもあった。
おかんは今でもおとんのことを憎んでいるということ。
おとんのことをあいつって言う。悲しかった。
「ままは体もしんどくて、それでも弟1を卒業させたいから頑張ってるのにあいつは…」って。
私はおとん本人からも話聞いてて、おとんも協力してるけど。
不器用なだけっていうのが分かってたから、
それがおかんには伝わってないのか…って思うと悲しくなった。
おとんはおかんのことほめてたのに。
話はどんどん聞くに耐えなくなっていった。
「前の家で過呼吸が出て体が動かなかったときはしんどかったなあ」
「あいつ動けなくて助け呼んでるままのこと蹴ったんだよ?あの顔一生忘れんわ」
「私ちゃんが産まれてすぐのときだって、あいつはゴルフばっかり…」
「ままはお義母さん達に嫌味ばっかり言われて毎日泣いてた」
(私が産まれてすぐはおとんの実家で暮らしてた)
「義母さんにもあいつにも会いたくなくて、
 よく私ちゃん連れて車で遠いとこまで行って泣く場所探してた」
「過呼吸も見られたくなかったから
 発作がでそうになったら一人で車の中で治まるまで待ってた」
おとんやばあちゃんの愚痴が出て来る出て来る。
おかんに大人と認められた私は、
普通子供が知らなくていいような部分の話まで全部聞かされた。
聞いてるうちに涙が出てきた。おかんの愚痴はまだまだ続きそうだった。
私が産まれてから20年分の話。
おかんの闇の部分をちゃんと聞いたのはこれが初めてで
心が痛くて聞いてられなくて、寝たふりをした。
相づちがなくなったのに気づいておかんが
「私ちゃん寝ちゃった…?」って聞いてきたけど無視をした。
おかんは諦めたみたいで「寝ちゃったか…おやすみ」って言ってきて、その日は終わった。
私はこの日知りたくなかったことをたくさん知った。
おとんの嫌な部分、ばあちゃんの意地悪な部分。
そしておかんが持っていた闇の部分。
いつも明るくておちゃらけてたおかんからは想像できないような暗い話だった。
親は親であってほしかった。いくら大人になったからと言っても、私は子供だった。
親の汚いところを受け止めるほど心が成長してなかった。
次の日おかんは何事もなかったかのように普通に接してきたけど、
私はおかんとふたりきりになるのが怖くなった。
また知りたくないことまで聞かされるのか、またおとんの悪口を私に言うのかって
おかんを少しずつ避けるようになって行く。
おかんの話はショックだったが、一人暮らしの生活に戻ると
日々の忙しさでだんだんそのことも忘れて行く。
私はもう就職をしていて、給料は安いながらも職場に恵まれ
休みの日は友達と遊んだりして日々を過ごしていた。
ちょうどこの頃、私は大失恋をしたばかりだった。
2年近くの恋愛が終わり、私がかなりひきずったせいで相手の彼とは少し気まずくなっていた。
共通の友達も居た為、その後の彼の話は私に筒抜けで、私はかなり情緒不安定だった。
家庭のいざこざには慣れていても、恋愛のいざこざには全然慣れてなかったんだよね。
打たれ弱くて、彼のその後を聞く度傷ついていた。
そんで、そんなときにまたおかんからメールが来るようになった。
すんごい長文。見た瞬間に滅入るような。
長文すぎて細かくは覚えてないけど、前の続きみたいなの。
「今日も体調悪かったのに弟1はたくさん友達を連れてきてうるさい」
「夜中になっても騒いでて帰ってくれない」
「車がなくて買い物にもいけない」
「あいつはままが困ってるのを知ってて車で自分の実家に帰ってる」
「誰も助けてくれない。咳がひどい。だるくて今日は何回も朝から吐いた」
「でも妹を保育所につれていかなきゃいけないから頑張った。なのにあいつは…」
みたいな。普段デコメ満載のメールなのに、一つも絵文字が入ってなくてこわかった。
文字制限いっぱいまで恨みつらみや文句が書いてあって
途中でまた涙が出てきて読めなくなってメールを消した。
自分が精神的に弱ってるときにこういうメールはきつかった。
返事も思い浮かばなくてそのまま放置した。
そしたら次の日くらいにまたおかんからメールが入ってて、
「昨日は変なメールおくってごめんね」
「最近眠れなくて色々薬飲んでるんだけど、時々わけわからなくなるんだー」
「風邪ひかないようにね!」ってデコメ入りで書いてあった。
昨日のメールとは別人みたいでなんだか怖かった。
これが始まりで、だんだんとこういうことが月に何回か起こるようになって行く。
私はおかんのメールに付き合うのがしんどくなって
愚痴のときのメールは開きたくもなくて、
届いたメールが変に長文だと読まずに削除を繰り返すようになっていった。
おかんの状態は弟1が高校卒業してから一気にひどくなった。
頑張っていた糸が切れたのもあるし、
弟1が寄生ニートになったからってのもあると思う。
弟1はたまに知り合いつながりで短期のバイトをしては無職になり
またたまに短期でバイトをする…みたいなカスな生活を送っていた。
一度きちんとしたバイトも受かったんだけど、上司ともめてクビになった。
進学もしない、働かない、家にDQN仲間を呼ぶ、車は勝手に使う。
弟1は高校を辞めてから更に人生の生きる意味を失い、どんどんクズになっていった。
働かないもんだから金がない。おかんの財布から勝手に金を抜く。
おかんが車必要なときに勝手に乗ってどこかにいってしまう。
元々持っていた闇の部分に弟1の行動もあって、おかんのストレスは限界だった。
おかんがためたストレスはどこに吐き出すか?それは全部私のもとに来ていた。
私はもうメールが来ても無視をしていたし、自分から電話することもなかった。
私自身が失恋でいっぱいいっぱいで、おかんを構う余裕なんてなかった。
んでずっと無視をし続けていたら、おかんのメールの内容が少しずつ変わってきた。
長文の愚痴は今までと同じ感じなんだけど、その後に来るメールが、
「どうせ誰もままの話なんか聞いてくれない」
「昔からずっと孤独だった。ずっと一人だった。
 それでもままは私ちゃん達が産まれてくれて嬉しかった」
「私ちゃん達はままの宝物。薬のんだ ねむい 起きてられない」
みたいな支離滅裂な文章になってきたんだ。なんかやばいって思った。
それで焦って「最近仕事が忙しくてなかなか返事できんかった!」
「ごめんね!大丈夫?」みたいなメールを返した。
そしたらしばらくしておかんからメールが返ってきて
「眠剤のんだらいしきとんじゃったー!」
みたいなのんきな内容でほっとした。
でもなんかおかしかった。
おかんのメールはいつの間にかひらがなだらけになっていた。怖かった。
変だなって思いながらもそれからまたしばらく安定してたんだけど
ある日今までで一番衝撃的な内容のメールが送られてきた。
その日私は職場の飲み会帰りで、割と気分よく帰ってたんだけど
おかんから受信されたメールを見て一気に酔いが醒めた。
見た瞬間に画面がびっちり文字で埋まっていた。
改行もないし誤字もあって読みづらい。内容はこうだった。
「あいつはずっとフ倫してた」
「土日家にいなかったのは女のところに行っていたから」
「平日はこっちで土日はフ倫相手の家にいっていた」
「過呼吸が出たとき何度もままはあいつに助けをもとめたけどけられた」
「一回も心配してくれなかった」
「あいつは最初ままの当時付き合ってた人の知り合いだった」
「彼氏の相談をするうちにいつのまにか付き合っていた」
「結婚するつもりなんてなかった 元々彼氏がいたままに手をだしてきた男だ」
「つきあってるときから浮キは何度もされた」
「同棲してるときからこの人と結婚は無理だとおもっていた」
「別れようとおもっているところに私ちゃんを妊娠していることがわかった」
「ままは結婚しなくても私ちゃんを産んで育てるつもりだった」
「あいつは結婚を嫌がった でもあいつの母が孫をほしがっていたし
 体裁的にも結婚しろというので しぶしぶあいつは結婚した」
「私ちゃんができてもあいつは結婚する気なんてなかった」
「結婚してから弟達ができた」
「弟2ができたとわかったとき あいつは降ろせといった許せない」
「ままは私ちゃん達が宝物だからそんなことは絶対にしたくなかった」
「あいつは反対してたけどままは無理いって弟2を産んだ」
読み終わった瞬間滝みたいに涙が出た。声出るくらい泣いた。
私は小さいときからうちの家族が仲良くないかもしれないことに気づいていた。
でもまさか最初から愛し合ってすらなかったなんて知らなかった。
おとんとおかんは好き同士で結婚して、私が産まれて弟が産まれて、
年月を重ねて少しずつ男女の愛情が冷めてしまったんだなと思っていた。
あのおとんが私が産まれる事を祝福してなかったなんて
弟2を降ろそうとしていたなんて、そんなことたとえ本当でも聞きたくなかった。
私はこの日初めて、自分が望まれてできた子ではないと知った。
メールには他にも何か書いていたけど忘れた。
私はまず両親がデキ婚なことすら知らなかった。
おかんは私を泣かそうとこのメールを送ってきたのではないんだろう。
ただ発作的に今まで辛かった事がメールに爆発しちゃったんだろう。
きっと私がこの事実さえも受け止めれるくらい、大人になったと思っちゃったんだろう。
でも残念ながら、私は本当はまだまだおかんに甘えたいくらいのただのガキだった。
自分の出生の真実を受け止めるには心が成長してなかった。
私はここから一切おかんにメールを返せなくなった。
>>おかん…パニック障害か?
それもあるし、自律神経もおかしい。躁鬱なんかもしれない。
人が多いとこには行けなかったりする。
私もあまり知識がないから違いはよくわかんないけど。
んでこの日を境に、実家に2年以上帰らなくなる。
地元に帰る事はあっても家族には会わないかんじ。
友達の家に泊まって、帰ってたことすら報告しないようになった。
表面上のメールはしてたけど。
私は今まで辛いことがあってもなんとか自分で乗り越えてきたつもりだった。
でもこのときだけは本気で気分を沈まなくする薬が欲しくて
心療内科とかいこうかと思った。結局いいとこ知らなくて行かなかったけど。
おかんはその後も今までどおり私にメールを送ってきた。
私が無視をする度、ひらがなまじりになったり変な行間のあるメールになった。
精神に異常がある人の文章って変なとこで空白あるって有名じゃん?あんなやつ。
おかんから衝撃のメールを受け取ってから私は、かなり精神不安定になった。
誰にも言えなくて、でも聞いて欲しくて、意味深な病んだつぶやきとかして
SNSで若干かまってちゃんになってしまった。今思うと恥ずかしいwwww
気持ちの浮き沈みが激しくて、落ちてるときは何時間も何もせずに
ぼーっとしてしまってて気づくと朝になってたり、
誰かに全部受け止めて欲しくて前好きだった人に連絡してしまったり、
マインスイーパーを4時間くらいぶっ通しでやってしまったり
かなり痛々しい行動をたくさんした。
かと思うといきなり元気になって友達に会いまくったり
超ポジティブ思考になったり、そんな感情の波がしばらく続いた。
んでだんだんとあのメールの内容を冷静に考えられるようになった。
最初はただただ悲しかった。おとんにも愛されてなかったように錯覚した。
でも、産まれてから20数年を思い返すと愛されてないなんて事は絶対なかった。
だっておとんは毎日弁当つくってくれたよ。高校の大会見に来てくれたよ。
ビデオまでとってくれて、家で何回も見てくれてた事知ってるよ。
部活応援してくれたし、喧口華したけど専門にも行かせてくれた。
一人暮らしの家だって一緒に見に行って、
私が「どうしてもベッドは白がいい」とか言ったら
家にあった黒のベッドペンキで白く塗ってくれた。
弟達の事心配してたのだって分かってる。
私ができたとき、確かに子供なんてほしくないって思ってしまったかもしれない。
それでも産まれてからずっとおとんからの愛情は感じていたから
そんな大昔の感情なんてどうでもいいや。
何日も何日もぐるぐる考えた結果、きっかけはどうだったにしても、
今愛してくれてるのは間違いないから
あまり気にしないでおこう!という結論に至った。
ショッキングな出来事ではあったけど、何度泣いてみても
おとんに対する感謝や好きの気持ちは変わらなかった。
いつの間にか私はおとん達が結婚した年とそう変わらなくなっていて、
おとん達の気持ちもなんだか分かるようになっていたんだ。
20代になればデキ婚する子も、フ倫を経験した子も周りにいた。そういう話を聞いていると、
ああ人の親も親である前に男女なんだなあと理解できるようになった。
男友達の中には彼女に子供ができて「ああーやっちゃったー」なんて言ってるような奴もいたし
おとんもきっとこんな感じだったんだろうと思った。
そしたらなんだか許せた。そしたら、今度はだんだんおかんに対してむかついてきた。
おとんは確かにフ倫したし、おかんに悲しい思いをさせてきたよ。
でもおかんはそれと同じように、わたしに苦しい思いばっかりさせてるじゃないか!
なんで普通知らなくていいことまで私だけ知らされなきゃいけないんだ!
もうほっといてくれーー!
みたいな気持ちになって、おかんのメールを全部無視した。
おかんはこないだのメールで私がこんなにショックを受けたことを知らないから、
今までどおりどんどん愚痴のメールを送ってきた。
んで前に少し書いたみたいに、だんだんとメールの文体がおかしくなってることに気づいた。
無視をし続けていると、前みたいに長文が送られて来ることはなくなった。
ちょっとかわいそうかな?って心配になった。何度か返事をしようとは思ったけど、
やっぱりなんて返事したらいいかわからなくて結果無視し続ける形になってしまった。
多分おかんは私がおかんのメールを嫌がってると思ったんだろうね。
時々「げんき?ままは体調がわるくてずっとねています 風邪ひかないようにね」
とかかまってほしいような、でも返事を強制しないような、そんなメールが届いた。
そしてたまに発作みたいな
「くるしい だれもたすけてくれない」
「しにたいけど私ちゃん達がいるからぜったいがんばる」
みたいな、メンヘラチックなメールも届いた。私は変に慣れてしまっていた。
しにたいってメールが来ても「またか」って思うようになっていた。
遅い反抗期というか、なんかこのときは意地でもメール返しやるもんかって思ってた。
毎日毎日暗いメールが来るもんだから私まで疲れていて
もういい加減にしてよとさえ思っていた。
友達にも何かあるとすぐに「消えちゃいたい」とか言う子がいるけど、
そういうのって最初は心配しても何回かやられると
「ああまたやってるわ。そのうち治るでしょ」みたいになっちゃうじゃん?
私の中でおかんは、イソップ物語の主人公みたいになってしまっていた。
しにたいしにたい言うだけで、どうせタヒなないんでしょみたいな。
この頃の事を思い出すと胸が苦しい。多分私も感情が麻痺してた。
たまに、私だっておかんのメールしんどいんだよ!!っておかんにぶちまけたくなる衝動にかられた。
それくらい私もおかんの負のメールには参っていて、いくら楽しい日を過ごしても、
帰って見るおかんのメールで全て台無しにされる気がした。
「くすりのむと ふく さようがすごい 眠くなる 仕事がんばてね おやすみ」
「妹が 私ちゃんおねえちゃんにあいたいって ずっといってるよ」
「まま旅行がしたいなあ がいこく行きたい」
「それでみんなが大人になったら山かって 
 捨てられたどうぶつがみんな暮らせるようなあったかい場所つくりたいなあ」
「きのうから発作がでてねこんでる うごけなくてたおれてしまう でも誰もたすけてくれない」
「ままがしんでも私ちゃん達兄弟はずっとなかよしでいてね」
「それがままの願い そこに妹もいれてあげてほしいなあ」
こんな内容のメールが毎日毎日何通も届いた。
内容も穏やかだったりヒステリックになってたり色々。
んである日メールが来ない日があった。
代わりにおとんからメールが届いた。
「お母さん事故った。とりあえず大丈夫やけど入院してるから。一応報告」
っていう内容だった。
安定剤を大量にのんで意識朦朧としてる中で
妹の幼稚園のお迎えの為にむりやり車に乗ったらしい。
人身事故ではなかったのが幸い。おかんの運転する車がガードレールにぶつかった。
おかんはケガをしてて、K察や救急車がきたときも意識がはっきりしてなかったらしい。
K察がおかんに声をかけても、おかんはろれつが回っていなかった。
それでおとんが会社から呼ばれて、事故をおこしたおかんの元へかけつけた。
おとんに電話で聞いた話だったが、おとんは言いにくそうに話した。
「お母さんにもあとで電話してあげてな」
「ちょっとろれつ回ってなくて何言ってるかわからんと思うけど…」
さすがに心配になっておかんに電話した。
ケガはしたらしいが命に別状はなく、意識もあったので電話はすぐつながった。
「大丈夫なん!?」って聞いたら、おかんは
「うん らいようぶ〜」
って、本当にろれつが回ってない声で答えた。
聞きたいことは色々あったが、
正直本当になにを言ってるか聞き取れないほどおかんはおかしかった。
廃人っていう言葉が頭に浮かんだ。その声が結構ショックで、泣けてきた。
おかんはおかしくなってしまった、もう前のおかんじゃなくなってしまった。そう思った。
おとんの話ではK察も話が聞けなくて困っていたらしい。
とりあえずおかんが入院している間の子供達の面倒はおとんが見る事になって、
おかんには車に乗らせないようにしようという話になった。
結局おかんはしばらく入院して、いつの間にか病院で友達?沢山作って退院した。
けが自体はそんなにひどくなく、跡も残らなかった。
ろれつが回っていなかったのもそのときだけで、
数日後に電話したときには普通に話せるようになっていた。
でも今回の事故で、おかんが薬を飲んだ状態で車に乗る危険性というのが分かった。
おとんはおかんに車を与えないようにした。でもおかんには車が必要だった。
送り迎えや買い物、確かに田舎で車がないのは致命的だから。
私は事故以来、おとんともおかんとも連絡を取り続けていた。
このままではいけないって思った。おかんが本当にタヒんじゃうって思った。
当の本人であるおかんは案外けろっとしていて、
相変わらず浮き沈みはあったもののあれ以来普通に見えた。
ただ、おとんに車をとりあげられたおかんは更におとんのことを批難するようになった。
「車がないと生活ができないのに、頼んでも車を貸してくれない」
「私ちゃんからお父さんにお願いしてくれんかなあ?」
って、また私を頼るようになった。
私もおかんの生活が大変なのは充分分かってたし、
危ないとは思うけど車がなかったら次何をするかわからないし、
一応おとんに相談してみることにした。
おとんに電話をしたが、おとんの答えは最もだった。
「今回は単身の事故ですんでよかったけど、
 もしもこれで誰かを轢いていたらシャレにならない」
「私ちゃんには言ってなかったけど、今までも何度か事故りかけてる」
「買い物とかはお父さんも協力するようにするけど、
 お母さんの言ってることは聞き流しといて」
おとんの言い分は社会的に正しくて、
確かにこれでもし誰かを巻き込んだりしたらと考えると恐ろしかった。
そんでおかんには申し訳ないけど、
事故を防ぐ事の方が大事だと思いおとんの言う通りにしようと思った。
だめだったことをやんわりとおかんに伝えると
おかんはまた病んだメールを送ってくるようになった。
前と違い返事はするようにしていたが、やぱりしんどかった。
「お父さんは手伝うとか言いながら、必要なときにきてくれない!」
「車がなくてどうやって生活しろっていうの…」
おかんが困ってるのは凄く分かった。でも、おとんの言う事もその通りだった。
おとんも心配してるのに、おかんはおとんのことを悪くしか言わなくて、更に私はしんどくなった。
おとんにもおかんの話は聞かなくていいよといわれ、完全に板挟み状態だった。
離れて生活してて、私にも仕事があって、おかんに頼られてもできることは限られてた。
ややこしいから簡単に書くけど、おかんにどうしてもと言われ
おとんに内緒で車の保証人になろうとしたこともある。
おとんの意見は正しかったけどおかんがあまりにも大変そうでさ。
「おとんが車貸してくれないなら車買う!」
とか言うもんで車屋さん走り回ったこともあったよ。
でも、当たり前だけど私は保証人になれなかった。
というよりは場所が離れてて車買えなかったんだ。
私免許持ってなくて、車のこととか何も知らなくて無知だったから
それがどういうことなのかもわからなかった。
おかんに買えなかったことを伝えると「えーそうなん?…そっかあ…」ってがっかりしてた。
んでこのときにもちょっと変だなって思ってたんだけど、
おかんはなんだか常識のリミッターが外れてたみたいだった。
昔はそんなことなかったんだけど、
自分の願ってたことが叶わなかったら無理にでも遂行するというか…
あとでこれも精神的な病気からくる発作的な衝動だということを知ったんだけど、
おかんは自分のやりたいことや欲しいものが我慢できなくなっていた。
全部が全部ってほどでもないんだけど、車にしても無理にでも私に買わせようとした。
おかんの言う通りに動いた私も無知でアホなんだけど、
よくよく考えれば免許も持ってない20そこそこの女が一人で車買うとかできないよね。
他にもお金ないくせに大きな家電を買ってしまったり、生活に余裕ないくせに動物飼ってしまったり、
聞いてる私も「え?」って思う事が多くあって、おとんに少し話を聞いてみた。
おとんに聞くと、おかんは少し変になってしまったらしい。
事故の前から分かってはいたけど。もちろん普通のときもあるんだ。
普通に話せて、常識的なときもある。だからこそどこからが変になってるのかわからない。
でもたまにとっぴょうしもないことを言う。
現実不可能なことを平気でやろうとしたりする。
私にもよく「まま今から芸能人なろうと思う!演劇とか昔からやってみたかったんだー」とか、
急すぎる発言をよくしていた。
人を癒せる仕事がしたいといってセラピストの資格を取ろうとした事もある。
今普通のアルバイトすら難しい精神状態で、
お金もなくて結局そんなことできるわけないんだけど。
おとんも陰で色々とやってはくれていたらしい。
弟達の学校関係は全ておとんが手配やらなにやらしてくれていたし、
言ってたとおりおかんが動けないときのご飯や掃除とかもときどきやりに来てくれてたらしい。
でもおかんはおとんの話を全く聞かない。全てを否定する。
おかんはおとんに裏切られたことをずっと忘れられないんだろう。
おとんが話そうとすると発作が出てパニックになるんだとおとんが言ってた。
だから車のことも、冷静に説明しようとしても
おかんが聞いてくれないからほっとくしかないんだと。
私も橋渡し役になろうと頑張ったときもあったが、
おかんの話や言い分にはたまに理解できないところや
常識的でない部分があった。
だから公平に判断しようとするとどうしても
常識的なことを言うおとんのほうを信頼してしまっていた。
お金ないと言いながらも欲しい物は買ってしまうおかんに呆れてもいたし、
動物のことだって責任もないのに飼わないでくれと思っていた。
おとんはフ倫をしてたとは言え、
リ婚して自分のことをボロクソにけなす元妻のことを今でも助けてて本当に凄いなあと思った。
自分の子じゃない妹のことまで世話をしてて
妹には「おじちゃん」と言われて懐かれていた。
私は離れて住んでた為、おとんとおかんの距離感がわからない。
たまに大人しくおとんに助けられてるときもあればおとんのことを批難するときもある。
そのへんは今でもよくわからないんだけど、
十数年子育てを共にしてきた切れない縁のようなもんなんだろうと勝手に解釈している。
この頃私は今までつとめていた会社を辞め、転職することを決める。
高校時代お金がないと言われ進むのを諦めた道だ。
成人し、自分でお金を稼げるようになってもう一度自分の力で目指そうと思った。
それでもう一度学校に行く事になり(もちろん学費は自分で出した)、
夏休みや冬休みなど長期の休みがもらえる環境になった。
これが本当に最近の話。
おかんがちょっとおかしくなってしまって
悲しいを超えて慣れてしまった私は
おかんのメールも「はいはい」みたいに子供をあやすような感じで軽く流すようになっていた。
メールはたまに返すけど正直適当だったと思う。
おとんとは、大人になってお金の話(税金とか学費とか)ができるようになったので、
結構便りにしてて、年をとればとるほど
そういうことをきっちりしていたおとんを尊敬するようになった。
こうして書いてるとどうしてもおとん側によってるように見えるが
実際あてになるのはおとんだった。
かと言っておかんを見捨ててたワケでは絶対にないし、力になろうとしたことは何度もあった。
弟達に頼むからおかんに協力してあげて、優しくしてあげてと連絡したこともあった。
遠くにいる私じゃなくて、一緒に住んでいる弟達の協力も必要だった。
でも所詮私も遠くから弟達におかんを押し付けてるのに変わりなかったと思う。
精神的な病気を煩っているひとと一緒に暮らすのって、想像以上にしんどい。
やる気や気力を全部もってかれる。その事は充分私だって知ってる。
私は一人実家から逃げた身だから、置いてきた弟達に対して罪悪感のようなものも少しあった。
んで、ずっとこのまま家族から逃げてちゃだめだよなあと思ってるところに、
「あと家族と会えるのは何回ですか?」みたいなコピペを読んではっとして、
去年の年末、二年以上ぶりに実家に帰ってみようと思い立った。
実は帰るときにもちょっとだけ一悶着あり、めんどくさくて帰るの辞めようかなと思ったけど、
まあなかなか帰る機会もないのでそのまま決行することになった。
年末年始の冬休みを使い、せっかくだから
ばあちゃん、おとん、おかん、弟妹、家族全員に会おうと思った。
全員住んでる場所が違うので、一日ずつ泊まることにした。
ばあちゃんはおかんを嫌ってるのでおかんに会う事は内緒にした。
おとんに予定を伝え、ばあちゃんちからおかん宅までの送り迎えもやってくれることになった。
おとんに最初に実家に帰ることを伝えたので、それがおとんからおかんの耳に入り
「なんでままには教えてくれない!いつもままだけのけものにされる」
とまたヒステリックなメールが届いてまた気持ちが揺らぎそうになったが、
そこはふんばって会うことを決めた。
「おとんには送り迎えを頼んでるから早めに連絡しただけ」
と伝えるとおかんは落ち着き、
「でも今部屋めちゃくちゃ汚いよ。しかもまま凄い太った」ってメールがきた。
おかんは薬の副作用とかでむくんだり痩せたりを何度も繰り返していたので、
今回もそういうのだろうと思い特に気にしなかった。
でも今回はいつもよりしつこく「本当に太った」というので
「はいはい。そんなん別にええよ」と返事を返し、そして年末がやってきた。
凄い久しぶりに実家行きのバスに乗った。
久しぶりすぎて乗り方忘れてたくらい久しぶりだった。
まず向かうのはばあちゃんち。
ばあちゃんちにおとんも一緒に来ると言うので、ばあちゃんちで二日ほど泊まることにした。
久しぶりに会うばあちゃんは、凄いちっさくなっていた。
「おかえり」っていうばあちゃんを見て、ちょっと泣きそうになった。
もうさすがにおかんの話はしないし、子供のときのまま優しいばあちゃんだった。
耳は遠くなってて腰も弱くなってたけど、元気そうで安心した。
大晦日はそのままばあちゃんちで過ごした。
家族と年越しするなんて何年ぶりだろう。
初めてちゃんと紅白歌合戦見て、ゆくとしくるとし見て年が明けた。
おとんとこたつでちょっとだけお酒飲んだりして、少し話しをした。
学校頑張ってるとか、卒業後どういう仕事につくかとかそういう話。
私はこれからの仕事には実はかなり熱意を持っていて、
ずっとやりたかったことだったからちょっと熱く語ってしまった。
ずっと相づちを打ってたおとんが言った一言が結構胸にきた。
「今私ちゃんがそうやって自分の力で本当に行きたかったほうの道に進み直してくれて、
 言い方は悪いかもしれないけどようやくお父さん肩の荷が降りたような気がするよ」
「高校のとき、進みたかった道に進めてあげられなくて
 ずっと胸につっかえていたものがあった」
「あのときは大学に行かせてあげられなくてすまんかったな」
初めておとんからあのときの事を謝罪された。
酒も入ってちょっと泣きそうになった。
絶対この仕事について頑張ろうって思った。
更に弟2がそろそろ高校卒業が近づいてるんだが、
目指している進路が私と似たようなものだそうだ。
おとんは「できるだけ行かせてあげたい」と言った。
「お姉ちゃんからも色々教えてやってくれな」と。
うまく言えないけど、なんか家族っぽいなあと勝手に一人で感動していた。
おとんはすっかり年をとって、もうフ倫なんてしそうな風貌ではなかった。
昔はもうちょっとワイルドでもてそうだなって感じだったんだけど、
久しぶりに会ってみるとなんだか年をとってくたびれたみたいな顔をしていた。
早く就職して一人前になって、何か親孝行をしてあげたいなあと漠然と思った。
ばあちゃんちにいる間はおとんと話をして犬の散歩にいって
初詣に行って、おせちも一緒に作った。
何年もできなかったことをできるだけやったつもり。
久しぶりに家族に触れてゆっくりした。いい正月だったと思う。
んで、ついにおかんの家に行く日がやってきた。
おとんの車にのっておかん宅へ向かう間、ずっとドキドキしてた。
もしまた衝撃の過去暴露されたらどうしよう、そればっかり考えてた。
途中一旦昔住んでた家(今おとんが一人で住んでる家)にいるもの取りに行った。
弟達の勉強机が当時のまんま残っていて、
教科書とかまんがもそのまま残されていた。
でももうこの家には弟達はいなくて…って考えると
なんだか切なくなってきたので考えるのを辞めた。
もうあまり行く機会はなくなってしまったけれど、
私が産まれてから高校生になるまで暮らした団地。
辛かった時期を過ごした小さな町。
数年ぶりに行ってみるとやっぱり色々変わっていて、
私も大人になったなあとしみじみ思った。
2年ぶりにおかんに会う。
それはおとんに会うよりもばあちゃんに会うよりも緊張する出来事だった。
数年前まで、色々あったにしても友達親子みたいだったおかん。
でも私が気づかずに精神的に壊れてしまったおかん。
メールを返さなかった頃のことは罪悪感があったし、
ろれつ回ってなかったときのこと思い出すと今どうなってるのか全く予想もつかなかった。
おかんのマンションまで着いた。
おとんと一緒におかんの部屋の前まで来た。
ピンポン押したら、どたどたどたって走って来る音が聞こえた。
もう心臓がばくばく言ってとびだしそうだった。
ガチャってドアが開いて、そこには妹が立っていた。
「私ちゃんおねえちゃんおかえりー!!!」
妹は凄く元気な女の子に成長していた。
んで妹と一緒にリビングを抜けて奥の部屋に入ると、そこにはおかんがいた。
二年ぶりの再会だった。
ただ、最初一目見ておかんだとわからなかった。
私の記憶のおかんは相川ななせで、きれいで若くて、ファッションも若い子みたいで…
目の前にいるのは、太って肌が荒れてまっかになって、
スウェットみたいなだるだるの服を来た白髪まじりのおばさんだった。
正直何秒か声が出なかった。おかんのその姿を見た瞬間口があいた。
脳内のおかんの姿とはかけ離れすぎていた。
面影は全くなく、化粧も全くしてなくて顔は脂でべとべと。見るに耐えない姿だった。
驚いて止まってしまった私におかんが口を開いた。
「久しぶり。太ったって思ってるやろー」
太ったなんてもんじゃない。顔まで違うじゃないか。
あまりの衝撃におかんの顔を見続けることができなかった。
身内の姿が全く変わってしまうって、それほどショックな出来事だった。
「ほんまや。どしたん?」それしか言葉が出なかった。
おかんは「みんなままのこと豚や豚やっていじめるんやで〜」って自虐ネタいって笑ってた。
私は動けなくて荷物もったまんまつったってて、おとんが
「んじゃ帰るわ。また年に何回かは帰っておいでよ」って言って帰って行った。
それではっとして我に帰って、とりあえず荷物おいてこたつに入った。
頭の中は想定外の事態にパニックになったが、
顔に出したらおかんが傷つくと思い必タヒに動揺を隠した。
おかんは「まま凄い太ったやろ?だからメールでも言ったのに」って笑う。
恐る恐るおかんを見るとくっきり二重だった目はわからないくらい肉で埋もれて、
顔は吹き出物だらけ、口は荒れてがさがさになっていた。
正直何秒も見れなくてすぐに目をそらした。
「あ〜っ今ブサイクになったって思ったやろ!」
おかんの開き直った空元気が悲しかった。
弟1は遊びにでかけてて、弟2は自分の部屋から出てきた。
「最近弟2がこのままじゃ卒業式行かせてくれんって言う〜」
おかんはまたふざけて笑った。もう笑わないでくれ。見ていて辛かった。
「薬の副作用でねー 食べてないのに凄いむくむんや〜」
おかんは元気だった。言葉もはっきりしていたし、ヒステリックでもなかった。
でも、おかんは化け物になってしまった。
きれいだったおかんはもうどこにも居なかった。
心の中でどうしようどうしようってずっと思っていた。
表面上普通に会話して、近況など当たり障りのない話をした。
直接一緒に暮らしたことがない妹だったが、
私が来るのを凄く楽しみにしてくれていたらしい。
妹はずっと私にべったりだった。
「妹ねえ、私ちゃんおねえちゃんが来るのずっと待ってた!」
「私ちゃんおねえちゃんにぎゅってしてほしかった!」
女児小児愛者が居たら萌えタヒぬようなあざとい台詞を言われまくった。
おかんもそれを嬉しそうに見ていて、
「妹がずっと私ちゃんねえちゃん私ちゃんねえちゃんってうるさかったんよ」って言った。
んで落ち着いて部屋を見渡してみると、部屋は壊滅的に汚かった。
それどころか寂しさが原因で衝動的に飼いまくった動物たちがたくさん居て、
においも相当なものだった。
ふとんもひきっぱなし、排水溝はつまりっぱなし
部屋はごみだらけ、洗い物や洗濯物はたまりっぱなし。
普段部屋が汚い私でさえどん引きした。
そんな中で、おかんや弟達、そしてまだ小学生になったばかりの妹は暮らしていた。
なんか本当に非現実的で、うっすらと
自分がまだあの団地にいたときのことがフラッシュバックした。
そういえばおかんは片付けとか苦手だったなあって。
その日は深夜まで積もった話していつの間にかこたつで寝てた。
動物の毛で喘息がでかけて苦しかったけど、逃げ場所がなかったので我慢。
妹は「私ちゃんおねえちゃんの横で寝る」といって真横でくっついて寝ていた。かわいかった。
電気を消したとき、昔ふたりになったとたん
愚痴を吐かれまくったトラウマを思い出して怖くなったが、
おかんは体調が悪いのか布団に入るとすぐに寝てしまった。少しほっとした。
次の日。この日はまるまる私ちゃん日おかんに会う為に空けていた日だった。
かといってすることもなく、昼頃起きてだらだらと過ごしていた。
妹はずっと私にくっついたままだった。
「私ちゃんおねえちゃん見て!!この服かわいいやろ!!」
妹のファッションショーが始まった。
妹は小学校低学年にしてかなりませていた。学校でももてるらしい。
「私ちゃんおねえちゃんだーーーーいすき!!」
こっぱずかしい台詞をぽんぽん吐ける妹を見て、
小さいとき人見知りだった私とは正反対で
凄いコミュ力持った大人になりそうだな…って思った。
この妹の明るさは、家族の雰囲気をそのまま作っていた。
照れ屋で思った事をあまり口にしない弟達とは違って、妹は思った事をすぐ口に出した。
それでおかんに怒られることもあったが、本当に底抜けに明るかった。
もし妹がいなければ家族の雰囲気はもっと暗いものだったろうな、とぼんやり思った。
現にDQN化した弟1でさえ妹とは遊んでいたし、妹も
「弟1おにいちゃんだいすき!」と言っていた。
私がもし、妹を殺したいほど憎んだ時期があったと言えば妹は泣くだろうな。
そういえば、私がおかんと離れた時期と入れ違いに、妹はおかんとずっと一緒にいるんだな…。
妹が見てきたおかんはどんなだったんだろう。
部屋ひとつみても、家族の様子をみても、思う事はたくさんあった。
妹と遊びながら、ぼーっと私が連絡をとらなかった間の家族のことを思っていた。
私はおかんに色んな話を聞かされて育った。
それはもうたくさんたくさん話をして過ごしたもんだから、私の考え方はおかんと全く同じだった。
正義感、モラル、思いやり、困った人を助けること。
全部おかんから教わったことだ。
全部そのまま受け継いで私は成長してきた。
そんで、妹もきっとそういう風に育つんだろう。
妹は幼いながらにかなりしっかりしていた。
元気でふざけすぎることはあっても、
何か間違いをおかせば素直にごめんなさいと言える子だった。
姉視点の贔屓を抜きにしても、いい子に育ってると確信した。
んで、おかんの子育てはやっぱり凄いなあとも思った。
もし私が今子育てをするとして、こんな素直な子供に育てられるのか?
毎日語りかけて育てたんだろうな。
少しずつ、長年のもやもやが晴れていくのを感じた。
夕方になり、このまま家でだらだらするのもなんかなあと思い
「買い物に行きたい」とおかんに提案した。
おかんはスウェットのまま出かける準備をした。
前はたくさん服持ってておしゃれだったのにな、と思うと少し寂しかった。
最近はだいぶ精神状態も安定していて、
薬でラリることもなくなっていたのでおかんは少し車に乗れるようになっていた。
おかんが運転する車で、妹と私、おかんの3人で近くのユニクロに出かけた。
車に乗ってる間も色んな思いが頭を巡った。
小さいころよくおかんと車で色んなとこに出かけたなあ。
ひいじいちゃんちに行くのに2時間くらいかかって
途中でマックに寄るのが凄い楽しみだったなあ。
車のなかで色んな曲かけて、うたいあいっこしてたなあ。
おとんがいない土日は、兄弟3人連れてよく公園つれてってくれたなあ。
しみじみ思い出した。
懐かしかった感情が少しずつ戻ってきていた。
ユニクロにつくと、おかんは私から離れて自分がみたいものを見に行った。
私はただヒートテックが欲しかっただけなんだけど、
おかんも他を見てるみたいなので少しぶらりとしていた。
妹は私にべったりで、「これ私ちゃんお姉ちゃんに似合うとおもう!!」
とかってここでも元気にはしゃぎまくっていた。
しばらく店内を見て回ってたんだけど、ある事に気がついた。
そう広くない店内なのに、さっきから全くおかんと会わない。
私は目当てのものが見つかったので、妹と一緒におかんを探した。
少し離れたところにおかんを見つけかけよった。
「お母さんもなんか買う?」って声かけたんだけど、
「わからんー」って言ってまたさっさと私たちから離れて行ってしまった。
私はもう見るものもなかったのでまたおかんを探した。
んで今度は正面からばったり出会えたんだけど、
おかんが私の目をみて「不細工って思ってるやろ…」って今度は笑わずに言った。
涙が出そうになった。
おかんは、私が周りの目を気にすると思ってわざと私に近づかないようにしてたんだ。
こんな姿じゃもし知り合いにあったら親だと思われるの恥ずかしいやろって。
泣いたよ。何馬鹿なこといってんだって思った。
確かにおかんの変わってしまった姿を見てショックだったよ。言葉も出なかった。
でも、おかんを恥ずかしいなんて思ってない。
久しぶりに喋って、ドライブして、やっぱりおかんはおかんだって思った。
私は小さい頃からおかんが大好きだった。
おかんにもう一度自信をもちなおしてほしい。助けたい。
二年間私は何をしてたんだろう。
こんなになるまでほっといて、おかんはずっと助けを求めてたじゃないか。
あんなにきれいだったおかんは、自分がどんどん醜くなっていくのをどう思っていたんだろう。
あんなになるほど薬に依存してたんだろう。
持っていた服も似合わなくなって、おしゃれもどんどんしなくなって。
帰り道おかんは「私ちゃんはいいなあ。好きな道に進むんやろ?」
「ままも絶対いつか学校行くんやー」っていつもどおりとっぴょうしもない夢を語っていた。
芸能人になりたい、犬猫を飼える大きな家と庭がほしい、資格をとりたい、学校にいきたい。
いつも夢を語るおかんは、少しでも自分がやりたかったことをやれてるんだろうか。
小さい頃何度も聞かされた、昔話のおかんは凄く輝いていた。
スポーツが大得意で高校の推薦の話もあったが、ひいじいちゃん達と離れたくなくて断った。
芸能プロダクションのスカウトの話もあったが、同じく断った。
「もしあのとき推薦とかスカウトの話受けてたら、まま有名人だったんかなあ」
と全てを諦めたような目で言うから、
「でももしそうなってたら私たち産まれてないやん」と返した。
おかんは「そっか…それはやだな…」って小さい声で答えてた。
その晩は弟1も帰ってきておとん以外の家族全員でご飯を食べた。
妹私ちゃんは「みんなでご飯食べれて妹しあわせ!!」
「ずっと家族ぜんいんでご飯たべたかった!!」とはしゃいでいた。
そっか、妹もずっとお父さんが欠けた生活をしてたもんな。
今更になって色んなことに気づいた。
二年ぶりに家族に触れて、思っていたよりも居心地が悪いわけではないと思った。
環境は変わってる。私は確実に大人になってる。
前よりもずっと、色んなことを受け止められる。
急激に色々なことに気づき、自分の行動や人生を思い返してまたはっとした。
家族のことが重くて連絡をたっていた数年間、私は何を思っていたっけ?
誰かに受け止めて欲しい、誰かに全部吐き出したい、
辛かったねって言って欲しかったんじゃなかったっけ?
一番欲しかった言葉ってなんだったっけ?
誰でもいいから誰か一人、信用できる頼れる人間が欲しかったんじゃなかったっけ?
私も同じじゃん。ずっとしんどかったこと気づいて欲しかったんだ。
おかんにとって、その相手ってのが私だったんだ。
何があったか、と言われば今回の帰省で何があったワケでもない。
ただおかんに会い、話し、妹にふれ、おとんの気持ちを知った。
数年前の受け止めきれなかった私より、今の私は心が成長していた。
唐突にすべてを許せた。
私もおかんと同じ。ずっと全部を話しても受け止めてくれる、大事な誰かを探し続けてる。
おかんにとってのその役割が私なら、それは凄く光栄なことじゃんか。
急にそう思えるようになった。
おかんは、私達家族を守るために自分を犠牲にしたんだ。
誰にも言えず溜め込んで、こんな姿になっちゃったんだ。
こうして帰省する前とは私ちゃん80度違う気持ちで、一人暮らしの家に帰ることになった。
最後の日の夜は弟2と進路について朝まで語っていた。
「ちなみに私がお母さんに卒業式くんなって言ったのは、
体の為にもちゃんと痩せてほしいから卒業式までにって目標作ってやっただけやから!」
って、えらいツンデレなことも言っていた。
弟ともこんな話ができるようになったのかとしみじみ思った。
そういえば、弟たちは私が家を出た年齢と変わらなくなってたんだった。
数年間私が色々経験して得たものが沢山あるのと同じで、弟達だってまた成長してる。
妹もきっと。
帰りの朝、おかんはバス停まで見送りにきてくれた。
「私ちゃん頑張ってね。ままも頑張るよ」
と言うので、「次会うまでに絶対痩せときや〜!」って言っといた。
「絶対また帰るから」と、約束もした。
帰りのバスに乗るのがなんだか凄く寂しかった。
おかんの人生をこのまま終わらせるわけには行かないって胸に決めて、帰りのバスに乗った。
おかんからメールが届いて「いろいろありがとう」とだけ書いてあった。
なんだか今まで凄く色んなことがあって、悲劇のヒロインぶって、
意地をはって家族に会うのを拒否してたんだけど、会ってみればやっぱり家族は家族だった。
私の場合気づくのがすごーーーーく遅くなって本当に情けないんだけど、
おかんの精神状態だけじゃなくて姿まで変わってしまったことで、
やっと意地をはるのを辞めようと思うきっかけになった。
こんだけ長いこと文章書かせてもらってたいしたオチがなくて申し訳ないんだけど、
結局全部私の問題だったんだ。
私が勝手に成長して、勝手におかんを受け止められるようになったの。
おかんはずっとおかんだったんだもん。
どんだけ苦しかったか、どんだけ我慢してたか、親になるような年になって初めて気づいた。
最近回りで結婚が多くて、自分ちの親と重ねてみてしまって、
家族のことをよく思い出すようになったのもきっかけのひとつにある。
あれから私は、できるだけ毎日(できないときもあるけど…)おかんにメールを送っている。
おかんからメールがきたら、必ずすぐに返す。
短文でも、つながってる事を知らせたい。そう思って。
それがよかったのかたまたまなのか、おかんの状態はあれ以来いい感じだ。
まだ体はしんどいだろしたまに発作は出る事はあると思うけど、メールはずっと続けてる。
こないだおかんからメールが届いて、
「あれからジムに通いはじめたよ!4キロ痩せたよ!」って書いてあった。
ちゃんと逃げずに話を聞くだけで、ちゃんと相手をするだけでこんなにもおかんは頑張ってくれてる。
他の家庭の親とは全然違うけど、私にとってただ一人のおかん。
これから毎年実家には帰ろうと思ってる。
んでもうすぐ再就職だから、ちゃんとその仕事につけて安定できたら、
何かおとんとおかんに親孝行したいなあって思ってるとこ。
私もまだまだ不安定なとこあって、
いつか人の親になるときがきたらおかんみたいに子供を愛したい。
んでおかんに孫見せてあげたいなって最近凄い思う。
結婚願望全くなかったはずなんだけどね。
気づくのに時間かかってだいぶ遅い反抗期を迎えた私だけど、
これから先は親に恩を返して生きて行きたいと心から思う。もちろんおとんにも。
ただやっぱりリ婚は辛かったから、
もし自分が結婚するようなことがあれば絶対にリ婚はしないって心に誓ってる。
その前に結婚できるかすら怪しいけどwww
大人になって思ったのは親は親である前に一人の人間だってこと。
親は子供が思ってる以上に色んな事を考えてたくさんのものを背負ってるってこと。
自分だっていつ親側になるかわからない。
子育てに半生を捧げたおかんに、何かプレゼントしたいな。
長々と私ちゃん週間も書き続けてしまったけど、そんな感じで私の話は終わりです。
こんだけ前置きして結局オチらしいオチもなくてごめんなさい。
ちなみに弟2は自分で学費を稼ぐため私ちゃん年フリーターを経て来年専門に通う予定。
びっぷら在住ではないけどねらーなので特定されないかちょっと心配wwww
まあだいぶ伏せてるし大丈夫だろうけど。
弟1は妹には優しいもののやっぱりちょっとDQNな感じが強くて
どうにか更正させたいなって思ってる。
一回家を出て社会の厳しさでも分からせたいけど、親元を離れて更に悪事に手を出さないか心配。
弟さえいいって言うなら、一回こっちに上京させて一緒に住んでみるかとも考えてる。
そんで私は現在再就職に向けて就職活動中!
家族に会わない間、実は水商売やってみたりもしたwwww
けどやっぱ家族安心させて、育て方間違ってなかったよって行動で示したいと思う。
彼氏はいないけどいつか結婚して孫は抱かせてあげたいと思ってる!彼氏はいないけど!
あとこのスレ見て自分の体験談聞かせてくれた人たち!
レス読んで、ベタだけども辛い思いをしたのは
私だけじゃないと仲間がいるような気持ちになりました。
みんなそれぞれ問題はちがくて、環境も違うけど、負けないでほしい。
私もまだまだ不安定で、アドバイスできるような人間ではないので一緒に頑張りたいと思うよ。
子供の頃どうしようもなかった解決できない問題でも、
日々環境は変わって色んな人に触れ、考え方だってまた少しずつ成長しているはず。
そしたら案外昔乗り越えられなかったことでも
二回目は乗り越えられるようになっているかもしれない。
焦らなくていいから、諦めずに生きて行こうね。
みんなしんどいことあるよね。
誰にも言えなかったり、溜め込みすぎてしんどくなったら
2ちゃんでもなんでもいいから吐き出してください。
私はこれからもびっぷらは見続けるだろうし、
今度は誰かがたてたスレに応援のレスをするかもしれません。
こうして自分の書いた文章を読んでいると、うわー私鬼やなって思う部分もあるwwww
でも気づけてよかった。これから見失わない。
保守してくれた人、読んでくれた人ありがとう。